# キリスト教 # 近現代史

ほぼ暴徒!? 1950年代前半のクリスマスの無秩序っぷりがヤバイ

「なんでもあり」の祝祭空間
堀井 憲一郎 プロフィール

黒澤明が撮った歓楽街

黒澤明の映画にもクリスマスが出てくる。

1950年製作の『醜聞』。

サンタの格好の三船敏郎がバイクで颯爽と走っている。そのクリスマスイブの夜、三船はものすごく酔っ払った志村喬を連れてホステスのいる店に入る。「七面鳥はいかが」と勧められるが志村はニワトリと同じだ、と断る。左卜全が立ち上がり、奇妙な演説を始める。それに志村喬が呼応し、みなで「蛍の光」を斉唱する。

このキャバレーだとおもわれる店のなかの退廃的な空気と、和服と洋服の女給さんが混在しているところ、とても安っぽい店内のクリスマス装飾などが、当時の二流店の雰囲気をよく出しているとおもう。女給さんがあまり若くなく、ほとんど美人がいないところもリアルである。

黒澤明映画ではもうひとつ、『生きる』の歓楽街シーンも印象的である。

こちらは1952年の製作。ただしクリスマスではない。そのかわり1952年の風俗営業をずらりと並べて見せてくれる。

癌を宣告された真面目な志村喬と、小説家の遊び人・伊藤雄之助は冬の格好をして歓楽街をめぐる。おそらくクリスマスも近い時期だとおもわれる。

ビヤホールでビッグバンドの演奏に驚き、歓楽街の人混みを歩いて客引きの女に帽子を奪われる。志村喬が追いかけようとするが遊び人の伊藤が「あの帽子ひとつ取り返すには、あの帽子が一ダースくらい買う金がいるんだよ」と止める。

静かなバーで飲み、店を替えて軽快なジャズダンスで踊るダンサーを見物し(酔った志村がダンサーを捕まえようとしている)、ストリップを見物し、満員電車のようなダンスホールで若い踊り子と踊り、最後は娼婦(だとおもう)と一緒にタクシーで移動する。

1952年の歓楽街がよくわかる。いろんな店がオールナイトで営業しているようで、クリスマスイブの大騒ぎはこのような空気だったのだろう、と想像しやすい。金さえ払えば何でもあり、というエネルギーに満ちている。

 

二つのギモン

1955年にコメントしていた大宅壮一の蔵書をもとに作られた「大宅壮一文庫」はマスコミ関係者なら必ず利用する「雑誌専門の図書館」である。もちろん今回も〝クリスマス〟で検索を掛けて、なるべく古い雑誌記事をあさったのであるが、あまり古いのは出てこなかった。

いまは、その理由がわかる。

週刊朝日とサンデー毎日という新聞社系雑誌は大正年間に創刊されたのであるが、いわゆる戦後の週刊誌ブームを創出した雑誌は、週刊新潮が1956年創刊、週刊文春と週刊ポストが1959年創刊であり、「戦後の狂乱クリスマス」の時期がおさまってから雑誌ができたのである。

1950年代の破壊的なクリスマスに関する記事が週刊誌にあまり載っておらず、大宅文庫で検索してもヒットしないのは、週刊誌そのものがあまり存在してなかったから、なのだ。

クリスマスはいつごろ始まり、いつ盛んになったのか、あまりにみんな興味を持っていないということである。季節の行事として、年の瀬にならないと興味を持たないし、調べもしない。柳田國男がそう決めたのだからしかたがない。

いまいちど規定しておく。

戦後の〝破壊的狂乱クリスマス〟の時期は1948年から1957年である。

なかでも激しかったのは独立前1951年と独立直後の1952年である。

* * *

ところで。

戦後のこの狂乱クリスマスに関して、ふしぎなことが二つある。

ひとつは戦前とのつながりについて。もうひとつは、常に批判されつづけてることについて。

16世紀から、ずっとクリスマス記載を見続けてる私にとっては、「1928年から1936年までのクリスマスの大騒動」と「1948年から1957年までの狂乱クリスマス」はどう見てもつながっている。中断期間はわずか12年しかない。そのうち9年は交戦中である。

クリスマスは、戦争中は自粛していたが、戦争が終わったので、またその続きを始めた、というふうにしか見えない。

実際にそうだろう。どちらもメインはジャズとダンスである。歓楽エリアで大騒ぎをしている。のちの1980年代のクリスマスや、ずっと前の1900年代とはちがう。1930年代と1950年代は同じである。あきらかにつながっている。

でも、どこにもそんな言説がない。もののみごとに、ひとっつもないのである。

(つづきはこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/50724

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