# キリスト教 # 近現代史

ほぼ暴徒!? 1950年代前半のクリスマスの無秩序っぷりがヤバイ

「なんでもあり」の祝祭空間
堀井 憲一郎 プロフィール

無秩序な祝祭空間

しかし掲載されている写真はすさまじい。イブの翌朝、歩道標識のサクがばらばらに倒されている写真と、銀座八丁に並んでいた門松が何百メートルかにわたって、すべてひっくり返されてる写真がのっている。

あきらかに無秩序な祝祭空間である。〝なにをやってもいい〟という空気が流れる解放区が、この時期の繁華街には出現したのである。

もちろん、度を過ぎると怒られただろうが、しかし上記の警察コメントに見るように、この時期の警察は、何だかやさしい。つまり、これは祭りだから仕方がない、と見逃してくれていた部分が大きい、ということである。

新聞の社会面を通して見るかぎりは、1952年から無秩序解放区が出現するようになり、それ1955年がピークである。

1957年には少しまだ騒ぎは続いている。

「夜のふけるとともに、酔っ払いのけんか、それをかこんだヤジ馬、新橋、有楽町付近は騒ぎがつづいた。二十五日午前一時四十分こごろ「有楽町に人殺しだ」と酔っ払いのいたずらで、大騒ぎの一幕もあった。

(…)午後九時ころの銀座裏は喫茶店もキャバレー、バーも超満員。六丁目のある喫茶店の入口には「入れろ、入れろ」と約五百人の客が集まり、ドアを押す始末で、中から抑えるボーイと力くらべ。酔った客の一人が、クツでショーウインドーをけとばし、縦一メートルのガラスが破れた」(1957年12月25日水曜)

ほぼ暴徒である。そういう騒乱状態が毎年続いていた。

オールナイト営業禁止

わかりやすい切れ目は1958年にある。

この年、あらゆる店のオールナイト営業が禁止された。

終夜営業がなくなると、客足も落ちる。クリスマス騒ぎは、急に冷え込んでいく。

 

以下、その冷え込んでゆく1958年から1960年の3年間のクリスマスイブ風景。

1958年12月25日(木)
「夜七時半から九時までといわれる人出のヤマだったが、今年は昨年より人出が少ないようだ」

1959年12月25日(金)
「夜がふけるにつれ、からっ風がホオを刺し、九時ころには家族連れは早くも帰り支度、あとに残った〝異教徒〟たちは、オールナイトを禁止されたキャバレー、ナイトクラブでさわいだが、若い人たちには実利的な音楽喫茶や大衆バー、ビヤホールに人気が集まった」

1960年12月25日(日)
「クリスマス・イブの二十四日夜、宵の口にケーキを手に手に家路につく人の姿が目立ち、“イブは家庭で”がおいおい普及した感があった。酔っぱらいの姿は昨年をやや下回ったが、あい変わらず島田髪などの趣向にさそわれて、夜遅くまでイブを楽しむ人も多かった」

戦後の混乱期、まだ占領下にあった1948年から「大騒ぎのクリスマス」が顕在化し、1951年から1955年のあいだ繁華街は〝無秩序な祝祭空間〟と化していた。それも1957年まで、1958年からは沈静化し、「家庭で子供のためのパーティの日」となっていった。

これが戦後15年のざっくりとしたクリスマスの動向である。