100年生きるのは幸せなのか?長寿はめでたいが家族はこんなに大変

「口に出せない」ニッポンの悩み
週刊現代 プロフィール

「老い」と「病」を区別する

実際に90歳を超えるような超高齢者を何十人も診察しているという長尾クリニック院長の長尾和宏氏が語る。

「90歳を過ぎたら体のどこかに異常があるのが正常です。そんな当然の衰えを『老い』と捉えられる人と『病』と捉えてしまう人がいます。誰にでも訪れる『老い』を『病』ととらえることで、必要以上に病院通いをして、不要な薬を飲みすぎてしまい、逆に健康被害を招く例も多いのです」

90歳を超えた高齢者のなかには「早くお迎えが来ないものかね」と嘆く人が多い。死にたくても、身体が健康すぎて死ねないという悩みがあるようだ。だが、そんな愚痴でも口にできるのは「健康の証」だと長尾氏は言う。

「90歳を超えた人の『死にたい』という言葉は、『もっと生きたい』という気持ちの裏返しだと思います。自分がめでたく90歳を迎えたということに関して、なんらかのメッセージを発しているわけです。本当に寝たきりになってしまえば、意思の疎通もできなくなる」

いずれにせよ、100年生きることが珍しくない時代が到来して、健康の概念や国の福祉制度は大きく変わっていかざるをえないだろう。長生きしたからと言って総理大臣に純銀の杯をもらったり、市長から表彰されたりとちやほやされる時代は終わったのだ。

昨年夏に上梓した著書『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになっている作家の佐藤愛子氏(93歳)は、「そもそも国に頼ろうという生き方がおかしい」と語る。

「私は大正生まれですから、年金もなければ国が年寄りのことを思ってあれこれ手を打ってくれるような時代には育っていません。当時の人は若いころから一生懸命働いてカネを貯めて老後に備えるということをしたものですよ。

『年をとったら国が何とかしてくれるだろう』なんて考えることがそもそもの間違いです。私たちの世代は戦争、敗戦を体験していますから、自分の暮らしは自分で責任を持つ、そう考えるしかなかった」

20年後~30年後、自分や家族が100歳になるほど長生きしていたら、その暮らしに責任を持って、長寿を心から祝うことができるだろうか? それは、単に長生きするよりもずっと難しい課題かもしれない。

「週刊現代」2017年1月14日・1月21日合併号より