トランプが心酔した「自己啓発の元祖」そのあまりに単純な思想

だからこの男は、大統領になったのか
森本 あんり プロフィール

「負け」を納得できない人びと

ただし、明らかなことだが、これはあくまでも「勝ち組」の論理である。成功が神の祝福の徴なら、失敗は神に見放された結果、ということになる。

だが、そんな結論を正面から受け止められる人は少ない。「自分はまっとうに生きてきた。人並みに働いて、普通の暮らしを願ってきた。なのに食えない」とすれば、原因はどこか別のところにあるに違いない、ということになろう。

選挙戦前半で民主党のサンダース候補があれほど支持されたのも、この基本感情によるものである。若者たちが感じているフラストレーションを、中国の脅威や格差の拡大といった政治経済の言語で説明することもできるだろう。

だが、なぜ彼らにあれほどの不満が鬱積しているのかを理解するには、彼らの心の内にわだかまる「行き場のなさ」や「説明のできなさ」を理解する必要がある。そして、その若者たちと同じように、アメリカという国自体も衰退し、脅かされ、沈みかかっている。だから人びとは、「アメリカを再び偉大な国にする」と豪語する成功者のトランプ氏になびいたのである。

実は、宗教こそこうした「負け」を説明する論理を提供するはずのものである。キリスト教に限らず、宗教には現世の不幸を説明するための論理が備えられている。

「神義論」と呼ばれる論理だが、幸か不幸か、アメリカはこの論理を発展させるだけの猶予がないほど成功を続けてきた。だから彼らは、今になって自分たちの負けを納得することができないのである。

目的を見失ったアメリカの行方

もう一つ、この論理が説明できないことがある。それは、成功によって得たその富を「何のために」使うか、という目的である。ビジネスでの成功は、成功自体が目的となる。しかし、ひとたび成功してしまったら、その次は何をするのであろうか。

ヴェーバーの資本主義論では、成功によって得た富は、遊楽や放蕩に費やされることなく、禁欲的に生産活動へと再投資され、ますます資本が蓄積されてゆく。この無限回転の論理こそが「資本主義の精神」の要であった。

だが、そこに「目的」という概念はない。富の追求は、非合理的ですらある。

絶えざる前進が神の栄光を表す、という信仰があるうちはよいが、その信仰が消失したら、この論理は理由もなくただ稼働し続けるだけの巨大なマシンと化す。それが生み出す富を用いて、どのような善を社会に実現すべきか、という目的意識や価値観は、そこからは出てこない。

トランプ氏は、大統領になって何をしたかったのだろうか。

もしかすると、何かをしたくて大統領になったのではなく、大統領選に勝って自分が世界最強の男であることを証明したかっただけなのではないか。だから彼の掲げた政策は曖昧で具体性がなく、人々を引きつけて得票に結びつくものではあっても、実現可能性や実効性に乏しいのではないか。

移民国家アメリカは、目的をもつことで統一を作り出してきた国である。アメリカを動かしてきたのは、自分で自分に課した使命である。目的や使命を見失ったアメリカは、どのような国になるのだろうか。

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「反トランプ」のデモをかきわけるようにして辿り着いたマーブル教会には、自信たっぷりに明るく語りかけるピール牧師の銅像が立っていた。あたかも、「ポスト真実」(post-truth)に翻弄される今日のわれわれに、「何も心配することはありません」と言っているかのように。

〔PHOTO〕森本あんり
【参考】
・ノーマン・ヴィンセント・ピール『積極的考え方の力――ポジティブ思考が人生を変える』桑名一央・市村和夫訳(ダイヤモンド社、2003年)。別の訳者による『積極的考え方の力(新訳)――成功と幸福を手にする17の原則』月沢李歌子訳(ダイヤモンド社、2012年)もある。
・森本あんり『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮社)。
・森本あんり「ドナルド・トランプの神学――プロテスタント倫理から富の福音へ」、『世界』890号(2017年1月)、81-89頁。
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