将来なくなっている仕事ばかり?
昨年の暮れ、アメリカの経済番組へのテレビ出演を終えて、急いで帰宅し、着替えて、休みに入った娘を連れてある場所へと向かった。きっと喜んでくれるだろうと思い。
そこはシンガポールにできたばかりのキッザニア。素晴らしい場所だと私は思う。しかし、当の娘にはそうでもなかったようだ。
なにかと多忙な年末、せっかく時間を作って、セントーサ島にあるキッザニアまで来て、中をいろいろ見せて回ったのに、「何にもなりたくない…」と泣いて訴える娘。私はその姿を見て、一瞬、残念に思った。
しかし、よくよく考えてみると、私がアドバイザーをつとめるSTEM(Science, Technology, Engineering and Mathの略。科学・数学・技術領域に重点を置く、注目の教育法)塾で毎週ロボットを作っている娘の直感の方が正しいのかも、と思えてきた。
なぜなら、今キッザニアで体験できるほとんどの仕事が、娘たちの時代にはなくなっているのでは? と思えてきたからだ。
大人の指導の下、ロボットやAIが奪っていくであろう仕事を、並んでまでやらされることに、娘は何の面白みも感じなかったのかもしれない。もちろん、単なる「気まぐれ」である可能性が最も高いのだが……。