佐藤優が説く!「結局、北方領土は戻ってくるのか」問題のカギ

61年前に起きた「ダレスの恫喝」とは何か
佐藤 優 プロフィール

唯一残された記録

ここでプーチン大統領が述べた「ダレスの恫喝」については、1955~1956年に行われた日ソ国交回復交渉の際の日本側共同全権をつとめた松本俊一氏が、1966年に上梓した当事者手記『モスクワにかける虹』に記述がある。

北方領土交渉の基本文書であるにもかかわらず、初刷りのみで絶版になっていたので、2012年に筆者が長文の解説を附して『日ソ国交回復秘録』と改題して再刊した。

この本には、日本外務省が公開していない機密情報が多数含まれている。「ダレスの恫喝」もその1つだ。

1956年8月19日、重光葵外相はロンドンの米国大使館を訪れ、ダレス米国務長官に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡し、国後島、択捉島をソ連に帰属させるというソ連側から提示された領土問題に関する提案について説明した。

それに対し、ダレスは激しく反発した。

 

〈八月十九日に重光外相は米国大使館にダレス国務長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。その際、領土問題に関するソ連案を示して説明を加えた。ところが、ダレス長官は、千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。

したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。

特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。

領土に関する事項は、平和条約をまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として議論すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。

重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた〉

それ以前にも米国務省がワシントンの日本大使館に「日本がソ連案を受諾するならば、米国は沖縄を併合することができる地位に立つ」と伝達してきた経緯があるので、「ダレスの恫喝」は個人的発言ではなく、米国の国家意思に基づいたものだ。

ちなみに東郷和彦氏(京都産業大学客員教授)が筆者に述べたところによると、「ダレスの恫喝」に関する公電や書類は、外務省に存在しない。

東郷氏は、外務省のソ連課長、条約局長、欧州局長を歴任したので、北方領土交渉に関するすべての情報にアクセスすることができた。

筆者が現役外交官だったときに、「東郷さん、公電を誰かが湮滅したのでしょうか」と尋ねると東郷氏は「いや、北方領土交渉に関して重要記録を廃棄することは考えられない。あまりに機微に触れる内容なので、公電にしなかったのかもしれない。真相はわからない」と答えた。

「ダレスの恫喝」について証言する文書は、今のところ本書しかない。日本にとって唯一の同盟国である米国との関係を調整することが、北方領土問題を解決する不可欠の条件になる。

週刊現代』2017年1月14・21日号より