安土城に隠されたもう一つの「信長の野望」〜規格外の思考を読み解く

発掘調査でわかった新事実
加藤 理文 プロフィール

また、山麓御殿内にはさまざまな形の庭園が設けられていた。

都を支配下に置いた信長が見たであろう慈照寺や鹿苑寺の庭園をヒントにしたと思われる施設が、六ヵ所ほど確認される。

中でも、谷川対岸で確認された滝を借景とする庭園は、都にも存在しない圧倒的なスケールであった。信長は、こうした庭や御殿を含め、山麓居館全体を「見せる」ことをねらい配置したのである。

ルイス・フロイスは岐阜城について、「信長の掌握した権力を示すためと、他の戦国大名以上の力をもっていることを誇示するため」と「自分の慰安と娯楽」のために築かれた城と記録に残しているように、岐阜城もまた、小牧山城同様、軍事的色彩の薄い城であった。

フロイスの記載通り、ここでも信長が求めたのは「見せる」ということに他ならない。

まさに「統一のテーマパーク」

両城の発掘調査の進展により、小牧山から岐阜、そして安土へというプロセスが見えてきた。小牧山城と岐阜城に共通するもの、どちらか一つでしか見られないもの│これらが、安土城の真の姿を考える大きなヒントとなり、このたび上梓した『織田信長の城』(講談社現代新書)の執筆を後押ししてくれた。

いまから約440年前、安土山に出現した城は、我が国の常識を覆すものであった。安土城が、従来の城と最も異なるのは、あくまでも「見せる」ことに特化させた、全山に積み上げられた石垣と、最高所に聳え立つ天主建築である。

詳細については本書に譲るが、完成した城のすばらしさは、宣教師を通じて広く海外にまで紹介された。フロイスはこう記録を残している。

「安土城においては完成した天主や御殿を民衆に開放し、その権威と豪華さを天下に知らしめた。信長は、領国内に布告し、男女問わず何人でも自由に城を見物できる許可を与え、入場を認めた。諸国から集まった群衆は後を断たず、その数はおびただしく、人々を驚嘆させた」

5年余にわたる無防備な工事期間、さらに完成後の公開│城が持つ軍事機能は、完全に外に追いやられてしまい、「統一のテーマパーク」と化したのである。人々は狂喜乱舞し、安土城に殺到した。これこそ、戦国乱世に暮らす人々に、統一による平和な時代の到来と安寧を知らしめる行為だったのである。

今、確実に安土城に迫る資料は増加している。今回、こうした資料を駆使して、真の安土城へのアプローチを試みた。

今までの見解の追随となる箇所もあれば、新たな指摘が可能となった箇所もある。安土城単独では見えなかったが、小牧山や岐阜、そして信長に関連した城を調べることで見えてきた部分は多い。

この本を読めば、誰もがただちに、安土城へのアプローチが可能となろう。「謎はすべて解けた!」。だが、満点ではない。さまざまな立場の人が、さまざまな視点から安土城へ、いや信長の世界へ挑戦することが可能な、コンパクトにまとめられた本――自分は、前からこんな本の出版を待ち望んでいた。

拙著では、城郭政策の視座から信長の実像にも迫っている。まさか、最も欲した本を、自分自身で形にするとは夢想だにしていなかった。

読書人の雑誌「本」2017年1月号より