「親にはなってはいけない大人」が我が子を殺すまで

ルポ・厚木市幼児餓死白骨化事件
石井 光太 プロフィール

そんな一家が狂いだすのは、理久君が生まれて約1年半後のことだ。妻が「遊びたい」「お金がほしい」と言い出すようになり、幸裕に内緒で本厚木駅前の風俗店でアルバイトをはじめるのである。そのことが幸裕に知られ、夫婦の間にはケンカが絶えなくなった。そしてその約2年後の2004年10月、妻は夫と理久君を家に残し、何も言わずに失踪した。

幸裕は1人で理久君を育てなければならなくなった。当時、幸裕は実家との関係が悪く育児を頼めず、かといって児童相談所の役割もよくわかっていなかった。それで1人で育てるしかないと決心。夜明け前から毎日10数時間働きに出ている間、理久君を家に置き去りにすることになる。

もともと彼は生活意識に乏しく、粗雑な人間だった。マンションは料金滞納によって電気、水道、ガスが止まり、部屋には足の踏み場もないほどゴミがあふれた。それでも幸裕は料金を振り込もうとせず、真っ暗で臭い部屋に帰ってきては、公園で汲んできた水で理久君の体を洗い、おむつを取り替え、1日1度の食事セット(おにぎりやジュース)を与え、自らも同じ布団で眠ったのである。

先述したように、事件後彼は私にこう言った。

「俺は、理久を殺していません。理久を愛していたし、ちゃんと育てていました」

もし真っ暗で冷たい部屋に理久君だけを置き去りにしていたのなら、罪を軽くしたいだけの弁明だと断じられる。だが、彼は2年以上にわたって理久君と同じ部屋で添い寝して暮らしているのである。これが彼なりの「普通の生活」だったのだろう。

一方、家出をした妻はどうしたのか。

彼女は都内の風俗店で働きながら、ホスト遊びに興じていた。しかも、ホストクラブでの支払いが幸裕に回るようにしていた。結果として、幸裕と理久君の生活をどんどん困窮させていく。つまり、育児放棄していたのは、妻の方なのだ。

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幸裕がこうした生活に嫌気がさすのは当然だ。幸裕は美容専門学校に通う女性と付き合い、度々ラブホテルで外泊するようになる。既婚であることや理久君がいることは内緒にしていた。週に一度の外泊が2、3日に一度になり、やがて1週間帰らない日もあった。女性の方も本気で幸裕を愛し、美容院に就職後は結婚も考えていたという。

2人の関係が深まれば深まるほど、理久君が放置される時間は長くなっていった。幸裕が初めて有給休暇を取って東京ディズニーランドにデートへ行った翌月、理久君は数日間暗い部屋に放置された末、父親の帰りを待ちわびながら絶命するのである。

検死の結果、理久君は少なくとも死の2、3ヵ月前から栄養失調状態に陥って死亡したのではないかとされた。

 

カブトムシに餌を与えるように

横浜地裁で裁判が行われたのは、事件の発覚から約1年半後の2015年の秋。警察が逮捕し、起訴したのは斎藤幸裕だけだった。家族を捨てて、ホスト遊びをくり返して生活を困窮させた妻は、事件に直接関与していないとして罪を問われなかった。

横浜拘置所で、幸裕が私に「なぜ俺だけ懲役19年なんて判決なんですか。間違ってますよ!」と叫んだのは、こうした不条理からだったのだろう。理久君を死に至らしめたのは幸裕だが、その原因をつくったのは妻だと言えるからだ。少なくとも幸裕の立場に立てば、「なぜ俺だけが」と言いたくなる気持ちはわからないでもない。

しかしながら、多くの人にとって、幸裕の行動は納得のいくものではないだろう。

どうして彼は養護施設に理久君を預けなかったのか。

ライフラインの止まった部屋で2年以上も暮らして平気だったのか。

「育てていた」と言うが、本気でそう思っていたのか。