他人に不機嫌な顔を見せる人は、結局自分のことしか考えていない

作家・保坂和志流「ご機嫌という礼儀」
おとなスタイル プロフィール

機嫌よく、できることを着々とやっていけば

――つまり、保坂さんにとっての50代は、長くとも機嫌の悪い時間ではなかったんですね。

ぜんぜん。悪くなるのは、ベイスターズが弱いときくらい(笑)。今年(2016)はだいぶよかった。

――直球の質問ですが、「機嫌」の正体って、何だと思われますか。

えーと……僕の学生時代って1970年代後半なんですけど、その頃よく「私、鬱なの」って言う女の子がいて。でも、あれはただの気分なんだよね。共感や注目を得たかっただけだと思うけど、機嫌よくしていないと会う人に悪いじゃん? それって、礼儀だと思うんですよ。

あなたは友だちが大事なのか、自分が大事なのか。本当に友だちが大事だったら、友だちの前では笑って、みんな楽しい思いをしようよと。

50代って、死に対してブルーやグリーフ(悲しみ)を感じることが多くなるかもしれないけど、そういうときには宗教的な手続きというのがすごく重要で。僕、最初に飼っていた猫が死んだときは、月命日には毎月、墓参りに行ってたからね。朝、手を合わせて拝むとか、ごはんやお線香をあげるとか、そういう具体的で面倒くさいことをすることで、気持ちが救われるんですよ。

お見舞いや、お葬式に行くのも大事。今の社会って、あらゆる価値観が、ぜんぶ人を働かせるようにできているんだよね。でも、経済活動とか社会のルールとかのために、プライベートを黙殺すること、ないでしょ。逆だよ。

〔撮影〕相馬ミナ

――自分と、自分の大切なもののために、きちんと時間を使う。でも、何だかわからないうちに過ぎる2時間って、不安ですよね……。

そのボキャブラリーが、いけないんだってば(笑)。最近、あんまり見かけなくなったけど、新興宗教の勧誘の人が、よく街角にいたじゃない? 「人生についてどう思いますか」「今、生きていて幸せですか」って。この、人生だとか、生きるとか、幸せとか、大きな設問を立てることが、間違いなんですよ。

生きるってことは、つまり、日常生活のひとつひとつをきちんとやること。

料理を作る人は作るし、僕みたいに向いていないと思ったら料理はしない。でも、小説を書くのが向いているとか、猫の世話はできるとか、掃除は面倒くさいからやらないけど洗濯は好きだとか、生活を細かく分解していく。

そうすると「人生とは」って問いは成立しなくなるんです。「50代をどう生きるか」なんていうのも全部、罠。

 

――では、やはりよく聞く「人生の残り時間が少ない」というのも……。

騙されてる。歯が痛いと一晩が長いじゃないですか(笑)。それと同じで、何かしようとしていると、ちゃんと長いんです。

あのさ、小説家って、80くらいまで生きるんだよ。現役でさ。そうすると、それまでの時間を…… 60代の10年、70代の10年をどうやって乗り切るかというのは、本当に大変。むしろ、ぜんぜん短くない。

――確かに。短くない時間なら、よけいに安心して、機嫌よく生きたいです。

うん。……UFO番組をたくさん作ってた矢追(純一)ディレクターっているでしょ? あの人、何でUFOって言い出したかというと、都会の人に空を見上げてもらうためなんだって。

――そんなロマンチックな理由だったとは。

会社勤めの3年目くらいのとき、会社を辞めようかどうしようか考えたことがあって、朝まで酒を飲んで、始発で鎌倉へ向かって、駅から海沿いを歩いて実家へ帰ったんです。

そのとき、海を見たら「ま、いいじゃん」って。海や山ってやっぱり、すごいんだよね。相当辛いことがあっても、見れば忘れられる。癒やされるとか、そんな弱いものじゃなくて、吹っ飛ぶ感じ。

海や山が無理でも、空はある。空を見上げるのは、人間が肯定的になることだと思いますね。

――好きな時間帯って、ありますか。

いちばんいいのは、夜明け。早起きが理想ですけどね。前は、秋になると夕方に暗くなるのが嫌だったんだけど、考えてみれば、夏だと暗くなったらもう7時過ぎでしょ。「あ、暗いけどまだ5時半なのか。ラッキー」って。

――本当によい生まれつきです。保坂さんにとって、猫は仲間? それとも庇護すべき相手?

『フォー・ウェディング』(’94年公開)っていう映画で、ある登場人物が死んだときの葬式で、イギリスの有名な詩人の言葉を引用して〈彼は私の北であり、南であり、東であり、西であった〉(W・H・オーデンの詩)とスピーチする場面があるんだけど、まさにそれですね。猫がいるから、僕に四季があり、時間があり、東西南北があり、喜びがあり、悲しみがある。

――猫がいるから、すべてがある。

そう。僕を支えるものであり、基盤なんです。

ほさか・かずし/1956年山梨県生まれ。のちに鎌倉市で育つ。’90年、『プレーンソング』でデビューし、’95年、『この人の閾』で芥川賞、『未明の闘争』で2013年度野間文芸賞を受賞。『草の上の朝食』『季節の記憶』『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『考える練習』『書きあぐねている人のための小説入門』『試行錯誤に漂う』など著書多数。

『おとなスタイル』2017年冬号より