「日本スゴイ」ブームの極み、大相撲人気に覚える“ある違和感”

こうして国威発揚の場と化した…
星野 智幸 プロフィール

純血を求める「国威発揚」の場に

昨年あたりから顕著になった応援の一つに、手拍子がある。

これまで相撲では、個人がひいきの力士の名を呼んで応援するのが流儀だった。ところが、他のスポーツで見られる「日本チャチャチャ」のような、館内中が力士の名を呼んで手拍子を打つという応援がいつの間にか広まり、定着していった。

私は非常に違和感を覚えた。個人対個人で勝負する相撲は、応援するほうも個人であるべきだ。集団で威圧するのは、感じがよくない。ましてそれが、相手がモンゴル人力士だから、という理由で行われるのであれば。

この手拍子は、モンゴル人力士に対してはまず起こらないのだ。「日本出身」の人気力士か、モンゴルの横綱と対戦する日本の大関陣に対してのみ、起こる。

 

稀勢の里はこの手拍子の重圧に負けたようなものである。象徴的だったのは秋場所初日で、稀勢の里にはとてつもなく盛大な手拍子が起こったときである。ガチガチに硬くなった稀勢の里はいきなり負けた。

その場所の稀勢の里は負けが込み、優勝は日に日に遠のいていく。すると、手のひらを返したように手拍子は消えた。そして、序盤は何の期待もされなかった豪栄道に優勝の芽が出てきたとたん、まるでそれまでも主役だったかのように分厚い手拍子が送られた。

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これらの現象を見てわかることは、大相撲はまさに「日本スゴイ」を感じるために、人気が急上昇したということである。「日本人」のスゴさを感じられそうな力士を応援し、日本を応援する集団と一体に溶け合って陶酔したいのだろう。なぜなら、相撲は「国技」だから。

相撲の存在を実証的に検証した名エッセイ、高橋秀実氏の『おすもうさん』(草思社)によると、相撲が国技とされたのは、明治期に相撲専用の競技場を作るにあたり、名前をどうするかということになって、「国技館」と名付けたことが始まりだそうだ。国技館で行うから国技である、と。それ以前に相撲が国技と称された文献はないという。

しかし、戦争期になると、相撲は武士道の精神を体現した国技として称揚されるようになる。このときに、武士道の延長としての伝統競技というイメージが作られた。だが、相撲の起源は芸能であって、つまり被差別民の文化であって、侍文化ではない。

元来、あぶれ者や経済的に厳しい家の体の大きな子どもが、半ば身売り同然に預けられ、興行を行ったのが相撲。だから、さまざまな事情を抱えた者やルーツの者が集まる場だった。今は、モンゴルを始め世界中から一旗上げようという者が一堂に会している。

その相撲がいつの間にか、純血を求める国威発揚の場に変わろうとしている。恐ろしいのは、この線引きはごく自然なことであり何もおかしいとは感じない、という人のほうがもはやマジョリティとなっていることだ。それが今の日本社会の反映であることはいうまでもない。