「保育園落ちた日本死ね」が2016年の流行語大賞にノミネートされて賛否が沸騰したが、密かに流行語となっているのが「日本スゴイ」である。これは日本の素晴らしさを褒める言葉ではなく、日本を自我自賛する風潮を指している。
「保育園落ちた日本死ね」は日本を貶める言葉でそんなものが流行語大賞の候補になるとは言語道断だ、と腹を立てるのも、「日本スゴイ」現象の一環といえよう。
私の知る限りでは、早川タダノリ氏の『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社)という本が昨年に出版され、東京中日新聞でも「テレビで本で『日本スゴイ』 ブームの行く先は…」という特集記事が年末に書かれたことなどから、日本礼賛の傾向に批判的な人たち(私もその一人)の間で、「日本スゴイ」ブームというような言い方がされるようになったようだ。
私が日本礼賛の風潮が顕著になったと感じたのは、東日本大震災以降だ。
「日本よ、ガンバレ」というような鼓舞の気分が、次第に日本はすごいのだという己への言い聞かせになり、さらには信仰のようになりつつあるように思う。
だが、「日本人」のアイデンティティが強調されるようになったのはもっと以前からで、まずスポーツの世界で選手たちを「サムライ」になぞらえることから始まった。ワールド・ベースボール・クラシックの侍ジャパン、サッカー日本代表のサムライ・ブルーなど、比喩はサムライ一色に覆われるようになった。
私がそのきっかけとして捉えているのは、2004年にトム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』が大ヒットしたことである。この映画以降、日本中で、自分たちをサムライ視するイメージや言葉が爆発的に広がっていった。
私の目には、アメリカ人から「お前たちはサムライだ」と言われて、にわかに「そっか、自分たちはサムライだ! だから強いんだ!」と言い出したように映る。大半の日本の住民は、武士ではなく百姓の子孫であるはずなのに。
その武士のイメージが、イメージではなく本物だと思われ、ブームを起こしているのが大相撲である。小学生のころから大相撲ファンだった私からすると、このブームの内実を見るにつけ、本当に相撲好きが増えているとも言いがたい面があり、なかなか共感しにくい。