【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか

露わになるグローバル化の「歪み」
笠原 敏彦 プロフィール

エリート主義の敗北

次に指摘したいのは、英国のEU離脱決定は、欧州統合プロジェクトにおける「エリート主義の敗北」であるということだ。

欧州統合プロジェクトは冷戦終結後、政治統合へ大きく舵を切った。しかしその内実は、器は立派にしても、各国国民に「EU市民」のアイデンティティを芽生えさせることのない、民意を置き去りにしたものとなっている。

EUの創設を定めた1992年調印のマーストリヒト条約はそもそも、フランスでの承認を求める国民投票でわずか51%の支持しか得ていない。統合の旗振り役であるフランスにおいてでさえ国民の半数しか支持していないにもかかわらず、エリート層が強引に推進してきたのが近年の統合プロジェクトの実態である。

その典型は、1999年の単一通貨ユーロの導入だろう。

金融政策は加盟国で統一しながら、財政政策は各国でバラバラという構造的な大欠陥は、ユーロ危機の発生後、厳しく批判される。しかし、エスタブリシュメント層はそれまで、ユーロを欧州統合という理想の輝かしい象徴としてアピールしていたのである。

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イギリスの国民投票は、EUの政治家、エリート層への強烈なウェイクアップ・コールになった。EUのトゥスク大統領(欧州理事会常任議長)は英国での国民投票の結果を受け、こう語っている。

「完全な統合を急ぐという観念に取り憑かれ、我々は庶民、EU市民が我々と(統合への)情熱を共有していないということに気付かなかった」

EU首脳がここまで率直に反省の弁を述べたのは初めてだろう。

色褪せるヨーロピアン・ドリーム

英国の離脱決定で、相互依存を深める世界で国境のない新たな統治モデルを築くという「ヨーロピアン・ドリーム」は色褪せてしまった。

EUは1957年のローマ条約で「統合の深化(ever closer union)」を指針に掲げているが、当面その見通しは立たなくなった。

なぜなら、統合深化のイニシアチブには強固で安定した国内政治基盤を持つリーダーが必要だが、各国ともポピュリスト政党が台頭し、予想し得る将来に渡って主要国でそのような指導者が現れるとは想定できないからだ。

逆に、EUの将来をめぐってはフランスやイタリアなどで同様の国民投票を求める「ドミノ現象」が起きる、EUは解体に向かう、というシナリオも語られている。

 

そこまでの連鎖反応を起こすかどうかは別にしても、世界5位の経済力とEU最大の軍事力を持つ英国の離脱がEUの国際的影響力を低下させ、今後の方向性に多大なインパクトを与えることは間違いない。

欧州統合は元々、知恵に長けたフランスが戦争責任のトラウマから脇役に徹しようとするドイツの経済力を利用して牽引してきたプロジェクトだった。そこに現実主義、合理主義を信条とする英国が途中参加し、EUの市場経済化や外交・安全保障面でイニシアチブを取ってきたという経緯がある。

EUの方向性は、「ベルリン=パリ=ロンドン」のトライアングルの微妙なパワーバランスの上で決められてきたのである。

しかし、EU最大の経済大国であるドイツはユーロ危機を契機に名実共に欧州の指導的地位に置かれるようになる。その上、英国がいなくなれば、フランスの影響力低下とあいまってドイツの存在感ばかりが高まってしまう。

ショイブレ独財務相は独誌シュピーゲル(6月10日号)のインタビューでドイツの苦悩を次のように語っている。

「人々はいつもドイツにリーダーシップを求める。しかし、ドイツが指導力を行使した途端に我々は批判されるのである。EUは英国がいることによってバランスがとれていた。英国が関与すればするほど、欧州はうまく機能してきた」

欧州各国の「ドイツ恐怖症」は今も消えていない。またしても欧州につきまとう「ドイツ問題」という亡霊の登場となるのか。

二度の大戦を引き起こしたドイツを押さえ込むことが目的だったはずのEUは、その存在意義がパラドックス化しかねない危うさを内包しながら、統合プロジェクトの管理を模索することになりそうである。

EUの事実上のリーダーであるメルケル独首相が投票結果を受けた記者会見で、「英国民の決定を残念に思う。欧州と欧州統合プロジェクトにとって今日は分水嶺となるだろう」と悲壮な表情で語っていたのが印象的だった。

英国のEU離脱が、統合プロジェクトの一時的な揺り戻しで終わるのか、それとも逆行の始まりになるのか。戦後70年にわたって進められてきた歴史的な実験はまさに分岐点にあると言えるだろう。