ペナントも日本シリーズも、劣勢からの「大逆転劇」。
この男は、どんな「魔術」を駆使したのか。
北海道日本ハムファイターズを10年ぶりの日本一に導いた栗山英樹には「心の師」と仰ぐ指揮官がいる。
魔術師の異名をとった三原脩である。'56年から'58年にかけて日本シリーズ3連覇という西鉄ライオンズの黄金期を築いたことのみならず、Bクラスが指定席だった大洋ホエールズを球団創設初のリーグ優勝、日本一('60年)に導いている。また日本ハムが日拓ホームから球団を買収した際には、球団社長兼代表も務めた。
名将の条件として、三原は次の言葉を残している。
〈監督とは、ひじょうに常識的な言葉であるが、選手を使いこなすことができるかどうかである〉
平易であるがゆえに奥が深い。これこそは、「言うは易く、行うは難し」なのだ。
「ウチは(中田)翔のチーム」
そう公言してはばからなかった栗山が、不動の4番に代打を送ったのは、6月27日、本拠地での埼玉西武ライオンズ戦だ。
4点差の7回、2点差に詰め寄り、なおも2死一、二塁。ここで栗山は「代打・矢野(謙次)」を告げる。札幌ドームが騒然となったのは言うまでもない。
期待に応えた矢野は四球を選び、連打もあって日本ハムは逆転に成功する。試合は8対7で日本ハムが競り勝った。
この勝利で5連勝。白星の数珠は15にまでつながった。最大で11・5あった首位・福岡ソフトバンクホークスとのゲーム差を徐々に縮め、ついにはひっくり返してみせたのである。
前の打席で中田は見逃し三振に倒れ、10打席連続無安打となっていた。確かにこの打席でもヒットが出る予感はしなかった。
だが、栗山によれば、不振だから外したわけではない。中田が「ファイティングポーズを崩した」ことが許せなかったのだ。
「投手を倒すという姿勢が僕には見えなかった。それは打ってから一塁へ走る姿にも現れていました。翔には〝悪いけど代える〟と言っただけです。
次の2試合も(スタメンから)外しました。その理由について、僕は説明していません。翔に自分自身で気づいて欲しかった。それがスーパースターというものです」
再び三原の言葉を引く。
〈勝つための最善と思われる手段を選んで戦うのは監督として当然の処置で、選手の個々の立場や感情を尊重することと、勝つということは必ずしも一致しない〉
25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島カープとの日本シリーズは、2連敗からのスタートとなった。
「負けるなら4連敗だと思っていました。正直言って〝追い込まれた感〟がありました」
本拠地での第3戦も敗色濃厚だった。1対2で試合は8回裏へ。広島のマウンドはセットアッパーのジェイ・ジャクソン。日本ハムの負けパターンだ。
2死二塁。ここで広島バッテリーは3番・大谷翔平を歩かせ、中田との勝負に出た。寝てるヤツは起こすな―。これが短期決戦の鉄則である。