輪島功一「北方領土に生まれ、日本人初の重量級世界王者になるまで」

【最強さんいらっしゃい】第5回・前編
細田 マサシ

出会いは「きったねぇジムだなぁ…」

──で、いきなり東京ですか?
輪島 いや、まずは士別の実家に戻ったわけ。両親とも「おお、よく帰ってきた」とは言うけど、口減らしで出されているわけだからな。長く居るわけにもいかない。それで、どうすっかなって思って、「よし、ここは一発東京に行くか」と発起するんだ。

──おお! それでようやく上京ということになるんですね。
輪島 お袋の弟、つまり叔父が東京にいたからさ。でも、その叔父が何かしてくれるわけではないから、東京に出てきたはいいものの、自分でなにかをやらないと始まらない。そうやって俺の東京生活が幕を開けるんだ。昭和34年の話だよ。

──うわあ、まさに上京物語! ドラマになりそうですよ。ちなみに最初はどこにいたんですか?
輪島 堀切菖蒲園。当時はあの辺は空き地ばっかりでなーんにもなかった。「ここは本当に東京か」って思ったもんな。それでまずは自動車の整備工になるんだけど、いつまでたっても掃き掃除と拭き掃除ばかり。やっぱり早く一人前になろうっていう焦りもあるわけ。だから「いつまでも、これをやっている訳にはいかんな」と、それで次は住み込みで新聞配達。で、その次は住み込みで牛乳配達。それぞれ何年かずつやったよ。

──職を転々としたんですね。
輪島 したした。でも、みんな賃金が安いし、こき使われておしまいな感じがしたんだ。新聞配達も牛乳配達も住み込みで月千円の給料。いまなら4~5万円ってとこかな。これじゃあ金は貯まんないよ。配達するだけだから手に職を付けるものでもなかったし。そうこうしていたら、昭和39年の東京オリンピックが決まって、建設ラッシュが始まった。労働者の手が足らなくなったのよ。そこで土方をやりはじめるわけだ。

──おお、五輪特需の建設ラッシュはよく聞きますもんね。その中に輪島会長もいたんですか。
輪島 いたんだよー(笑)。21、2くらいのときだな。金もまあまあいいんだよ。大学出の初任給が5万円って時代に、半年で120万円も貯めたんだから!

──凄い! それはどうしてそうなるんですか?
輪島 働いてたところが完全能率主義だったの。主に穴掘りをやってたんだけど、掘ったら掘った分お金を余計にくれるんだよ。やった分貰えるから張り合い出るよな。右手でもやったし、左手でもやった。両手利きになったのはその時だよ。後で随分助かることになるんだけどな。

──ってことはですよ、そのまま作業仕事をやり続ける可能性もあったかもしれないってことですか?
輪島 あった。ボクシングに出会ったなければやってただろうな。おそらく、土方の親分になったと思うよ。自分で会社興してさ。「輪島建設」とか「輪島興業」とかいって(笑)。現場から設計から営業まで、もう何から何までやったと思うなあ。社員もちゃんと食わして、ボーナスも出したりしてやってさあ。そんくらいやりがいを感じてたからさ。それは今でも思うんだ。

──なるほど。で、そこからボクシングと出会うわけですが、どういったきっかけだったんですか?
輪島 25歳の時だったよ。お金も貯まったし、ちょっと生活に余裕できた頃にさ、「なんかやりてえなあ」って思ってたのよ。それに、一日中土方をやっても、若かったからか全然きつくなくて、体力が有り余ってた。性欲もだけどな、イヒヒヒ(笑)。

──まあ、それはそうでしょう(笑)。
輪島 当時、江東区の塩浜の辺りに土方の会社の住み込み寮があってね。現場からの行き帰りにボクシングジムがあった。それが三迫ジムだった。でも最初は読めなくて「サンパクジムかあ」って(笑)。

──そう読めなくもないですからね。
輪島 きったねえジムだったよ(笑)。それで「ボクシング、面白そうだなあ」と思ってよ、門を叩いたわけさ。「すみません、もう25なんだけど、ボクシングできますか?」って訊いたら「ああ、金さえ払やいいんだ」って若いやつが偉そうに言うんだ。「そうですか、じゃあお願いします」って。当時入会金と最初の月謝で5千円かかんなかったんじゃないかな。

──当時のボクシングは活気がある時代でしたから、入門希望者は多かったんじゃないですか?
輪島 多かったよ。でもみんな15、6の若い子ばかり。そりゃ当たり前だよ。一攫千金を狙ってボクシングをやる時代だったからさ、みんな若いうちからやりにくるんだ。その中で、25歳なんて俺だけ。

──異色の入門希望者だったんですね。
輪島 だからさ、トレーナーも何人かいたけど、誰も俺には教えてくんない。まったく相手にされないんだ。そりゃそうだよなあ。25くらいで始める奴なんか、当時いなかったもん。可能性ない、と思われたんだな。ちなみに俺はファイティング原田と同い年なの。奇しくもあいつが引退した1968年に俺は入門しているんだから。

──あ、そうなるわけですか! 確かに原田会長はこの年に引退ですね。ちなみに1968年は、西城正三さんが21歳で世界王座を獲得した年でもありますし、19歳の大場政夫さんは翌年世界に手が届きます。
輪島 みんな若いね。だからおかしな奴と思われて仕方なかった。今はハタチすぎて入門する人も多いよ。でもこの頃はいなかった。そんな俺も土方の作業着のまま練習してたから、なおのこと冷やかしに思われただろうな(笑)。

──確かに作業着ボクサーは聞いたことがないです!
輪島 サンドバッグ叩いてたら「おいお前、どけ」って16くらいの若いやつに言われるの。「あ、すみません。どうぞどうぞ」って譲ってさ。「この野郎、俺だって月謝払ってんだ」って思いながら、一人で練習するしかなかった。そのときにトレーナーが若い奴を指導しているのを盗み聞きしてね。「あ、ジャブってこうやって打つのか」とか、「俺はリーチが短いから、この指導は当てはまらないな」とか、自分で創意工夫するようになって。

──創意工夫! ボクサー輪島功一の奇跡の原点ですね。
輪島 だから結果としていえばだよ、それがよかったのかもしれない。若くてリーチの長い奴と同じ指導で、いいわけないしね。みんな杓子定規で同じことしか言わないんだから。でも俺の場合は一人でやるしかなかったから、自分で考えてスタイルを創り上げていけたんだ。