週プレ全盛期、読者なんていなかった。いたのは100万人の野次馬だけ

島地勝彦×田中知二【第4回】
島地 勝彦 プロフィール

トモジ おれらはこういうアナーキーでお笑いが大好きなバカ集団だよと、いつもアピールしていたんですよ。派手な花火をパーッと上げて、そこでみんなワイワイ騒いでいる。シマジさんという教祖とおれらが騒いでいるところに野次馬が寄ってきて、「ええじゃないか!ええじゃないか!」と一緒になって踊りはじめるわけです。

そうすると「なんか面白そうだな」とほかの人たちも集まってくる。つまり雑誌というかたちで祭りの空間を作ってやるとそこに自然と読者が集まってくる。おれらは毎週、熱狂という名の祭りを主催していたんでしょうね。

シマジ トモジのいう通りだね。村で真っ暗闇のなかでたき火をして「面白い!面白い!」と騒いでいるところに、みんな「なんだ?なんだ?」と集まってきたんだろうね。トモジが発案したロス疑惑シリーズなんかは、週刊文春が命がけでやっていた「疑惑の銃弾」をもじって「疑惑の男根」ってタイトルなんだからね。

しかも週刊文春と同じく三浦和義さんが松葉杖をついている写真を載せていたんだよ。デザインも傑作で、リードが大きな黒い男根のなかに白抜きで書かれているんだから。江嶋任先生はじめ、その愛弟子の中城祐志がよく頑張ってくれたよね。

トモジ 芸大のデザイン科を優秀な成績で卒業された江嶋先生も、いままで真面目な雑誌ばかりやっていたもんだから、「あそこの横町の悪所に行けば普段のおれとは違う人間になれる」と思って、おれたちと遊んでくれたんでしょう。

シマジ 江嶋先生とは何度も飲んだけど、2人になると本当にいろいろ忠告してくれたもんな。先に帰ったタッチャンもそうだけど、いい先輩たちにおれたちは可愛がられたんだよ。

トモジ あとは文章力でしょうね。アンカーマンの館淳一さんをはじめ一流の文章家の手が入っていたのも大事なことでした。バカな話にリアリティーを持たせるのは、やっぱり文章の巧さでしょう。

シマジ それはネットの時代になってもいえることだろうね。アマチュアとプロのちがいは如実に出るからね。

ヒノ トモジさんがやった仕事で、いま振り返っても面白いというのはどんな特集ですか?

トモジ シマジさんにいちばん最初に教わったのは、まあ週刊誌編集者の要諦みないなことなんですが、「いいか、トモジ、すぐ忘れろ」と。「週刊誌はすぐ次が出る。前の号のことでくよくよしていると失敗の連続になるぞ。だからすぐ忘れることだ」とシマジさんに叩き込まれたですよ。

お蔭でいままでやってこられたんだと思いますが、嫌なことと同時に、いいことも忘れちゃう。だからいまとなってはもう、自分がなにをやったのか思い出せないんですよ。

ヒノ それでもいま頭に去来する楽しい記憶があるとすれば。

トモジ そうですねえ、読者ページの「おらぁ読者だ」かな。

シマジ そうだったな。思いだしたぞ。たしか「ライブスケアー」とかいう名前の読者ページがあったんだよな。新人がまずやらされる読者の投稿原稿を載せるページだったんだが、それをトモジを抜擢してやらせたんだった。

ヒノ またどうして読者ページなどをベテランのトモジさんにやらせたんですか?

シマジ そこだよ。凡庸に流されるページを刺激的にしてくれたのはまさにトモジの才能なんだけど、あの読者のページは見事に蘇ったよね。

トモジ はじめは「バカダネ、日本農園」っていうタイトルを考えたんですが、シマジさんに却下されて、次に考えたのが「おらぁ読者だ」だったんですよね。へったクソな詩を書いてくる読者がいて、そいつには「謝礼は払うから、詩だけは送ってくるな」とかね、ふざけるだけふざけたページでした。