# 近代史

日本からクリスマスが消えた年〜「抹殺せよ、アメリカ臭」

真珠湾攻撃、そして敗戦へ
堀井 憲一郎 プロフィール

大政翼賛会成立

翌1940年。

10月に大政翼賛会が成立した。国会の席は政党別ではなく、五十音順に座ることになった。

東京會舘が大政翼賛会本部となるため閉鎖する、との広告が、帝国ホテルと東京宝塚劇場の連名で出されている。歌舞伎座の演目も変更があった。

クリスマスは禁止されたが、しかし冬のスポーツのスキーはしきりに盛んである。百貨店もスキー用品をつねに売り出している。

1940年12月21日「ダンス解禁のXマス ホッとしたドイツ民衆」。イギリス報復爆撃を始めてからカフェやバーのダンスが禁止されていたが、クリスマスを機に日を限って解禁され、ドイツ国民は朗らかだ、と書いてあります。

1940年12月25日「打ち砕かれた欧州のXマス」。フランス、イギリス、イタリアのクリスマス風景レポ。

クリスマス記事をどうにかして載せたい記者たちは、ヨーロッパのクリスマス状況をリポートすることで、埋め合わせようとしている。そのように見える。

1940年12月26日「例外のクリスマス私語」。日本のクリスマス騒ぎは追放されたが、中央局国際台では、アメリカやドイツとの電話をつなぐ交換手が、交換手同士の挨拶として短く「メリークリスマス」と伝え合っている、という記事である。日本国内でメリークリスマスと云ってる場所として、国際電話の交換手を見つけ出してきた、という感じである。

何というか、クリスマス記事を載せたいという固執がいろんな工夫を呼んで、いくつかの記事になっているというところなのだろう。

日米開戦直後のクリスマス

いよいよ1941年から対英米戦が始まる。同時に中国ともあらためて宣戦布告した。

この年のクリスマスは、開戦からまだ2週間余りしか経っていない。

 

1941年12月 26日に「頑敵陣のXマス 夜襲巨弾の〝贈物〟 今は空し香港の抵抗」という記事がある。香港でイギリス軍と戦っている記事である。

「果然今年のクリスマス・イヴは彼らの心臓を奪って行くものであった。彼らの懐の中に飛び込んで来たサンタクロースは、大きな袋に実弾をぎっしり詰め込んでいた。日本軍からイギリス軍へのプレゼントは香港島に上陸した巨砲陣から一斉射撃に次ぐ壊滅的な夜襲であった」

洒落ているのか、よくわからない記事である。あまり品がよくない。

12月24日には「抹殺せよ アメリカ臭」という記事がある。

「日本人を多年毒してきた浮薄なアメリカニズムを今こそ我々は風俗から生活から追放すべきだ」と風俗研究の権威・今和次郎早大教授の提唱により、民間人が自主的に、アメリカ臭の排除に動きだしたようである。

「喫茶店、洋裁、理髪、美容、洋品各店頭などのアメリカかぶれしたポスター、看板から街頭に散見するアメリカ映画女優ばりのあくどい洋装女や帽子、靴、ショール、化粧の方法までを狙って撮影」して、のちに報告するという。

この苦しい戦争を、よけいに苦しくしたのは、こういう民間人による積極的な〝地味な生活〟の強要だったとおもう。

ちなみに1941年は電撃作戦により(ほぼ騙し討ちともいえるが)日本軍は連戦連勝の最中、大きに戦勝国気分にひたっており、1942年も国民気分としてはほぼ同じである。