石川さゆり『津軽海峡・冬景色』はなぜ国民的名曲となったのか?

冬に聴きたくなる理由
週刊現代 プロフィール

三田 この曲のように、ヒットする演歌は北を歌ったものが多いんですよね。津軽半島の最北端の竜飛崎と青森港には今、『津軽海峡・冬景色』の歌謡碑があります。

あがた その竜飛崎がある青森と北海道では全く異なる文化が流れています。日本の最北端は青森で、その先の北海道は新開地というイメージが未だに強いですね。

マーティ 津軽海峡を越えて青森から北海道に行くことはそれだけ大きな意味があるわけですね。

三田 歌詞をよく読むと、男を振ってきた女の歌なんですよね。それまでの演歌は、男に振られて、残されてしまう女を表現することが多かったけれど、『津軽海峡・冬景色』は逆。阿久さんっぽい歌詞だと思います。

あがた 男と別れた女性の自立を表現していますね。

三田 阿久さんは作詞家になったときに「美空ひばりで完成した流行歌の本道とは違う道を歩むこと」など15個の決め事を作ったんです。その中に自立した女性を描くというテーマがあった。

また阿久さんは、父親の仕事の都合で、子供の頃たびたび転校していた。そのため、父親から「別れるときにつらくならない程度に仲良くせいや」と言われていたそうです。

出身は淡路島なんですが、進学を機に上京したあとは40歳くらいになるまで一度も故郷に帰っていないんですよ。そうした経験が、あまりウェットではない別れを描いたこの詞を書かせたのかもしれない。

あがた '88年には青函連絡船が廃止され、2014年には上野-青森間の夜行列車も事実上無くなってしまいました。

三田 僕が子供の頃は、青森から上野駅に着いた電車の屋根に雪が積もったままになっていました。子供ながらに、その雪を見ると旅情を感じていたものです。今は昭和の歌が描いていた情景がなかなか成り立たなくなってしまった。

あがた 青函連絡船は残しておいてほしかったな。夜行列車も旅情が満載の交通手段でした。青森に近づくにつれて、そこかしこから津軽弁が聞こえてくることで、故郷に近づく幸せが感じられた。そういうものは、おしなべて無くなっていますね。

三田 '89年6月1日の阿久さんの日記には、この日初めて北斗星に乗って青函トンネルを渡ったことが記されています。青函連絡船とは違い、あっさりとトンネルを抜けるだけじゃ風情がない、ということが書かれています。

マーティ 歌詞で描かれているものが無くなっていくのは残念ですが、曲自体が色褪せることはありません。僕は30年間ずっとこの曲を聴き続けています。

あがた 若い人にももっと聴いて欲しい曲です。僕達が昭和の時代に持っていた生活感や情感を、当時を知らない世代とも共有できるはずです。

三田 これからも時代によって様々な受け止め方をされながら聴き継がれ、歌い継がれていくのでしょうね。

三田完(みた・かん)
56年、埼玉県生まれ。作家。NHKで芸能番組を担当したのち、阿久悠の作家活動を17年間サポート。近著に『不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む』がある
あがた森魚(あがた・もりお)
48年、北海道生まれ。シンガーソングライター。'72年『赤色エレジー』が60万枚を超す大ヒットを記録。'09年に『津軽海峡・冬景色』をカバーした
マーティ・フリードマン
62年、米国生まれ。世界的ヘビーメタルバンド・メガデスのギタリストを経て、現在は日本に拠点をおきマルチに活動。今年12月に日本遺産大使に就任

「週刊現代」2016年12月31日・1月7日合併号より