シベリア抑留「4万人死亡名簿」をたった独り調べ続けた日本人がいた

一日10時間を10年間、休むこともなく
栗原 俊雄 プロフィール

未完の悲劇は続く

日露両政府が協力して、抑留の実態解明に当たっているのか、という点でも疑念が残る。安倍晋三首相とプーチンロシア大統領が今月、会談したことは記憶に新しい。第一次安倍政権以来16回目である。しかし過去15回、シベリア抑留の問題は取り上げられたことがなかった。今回も取り上げられた節はない。
 
日本政府の、シベリア抑留の問題に取り組む姿勢を巡っては、しばしば「全容解明がなされていない」といった批判が寄せられる。筆者もその通りだと思う。たとえば政府は、ソ連による抑留の日本人死者を5万5000人と推計している。これは説得力に乏しい。様々な史料から、筆者は8万人以上だろうと思う(拙著『シベリア抑留 未完の悲劇』)。

仮に「5万5000人」としても、そのうち1万人以上が身元不明である。つまり死んだことは推定できるが、どこの誰かが特定できず、遺族も見つからない人たちだ。
 
「全容解明」となれば、抑留された人、亡くなった人数はもちろん一人一人を特定し、それぞれがどのような場所でどういう生活を送ったのか、あるいはなぜ、どこで亡くなったかを明らかにし、遺体がどこにあるかを明らかにしなければならない。
 
しかし戦後70年という月日が流れていること、さらにはほかの戦後「未」補償問題に対する我らが日本国の消極的な態度をみると、「全容解明」はおよそ不可能だろう。
 
さらに言えば遺骨の問題、「身元不明」の死亡者、さらには戦後60年以上が過ぎても抑留の「奴隷」が存在したことからも分かる通り、シベリア抑留という悲劇は、すぐれて現代につながる問題なのだ。

 

前編で紹介した、全抑協会長の平塚光雄さん。そして村山さん。いずれも、私
が取材を続けるうえで、大きなエネルギーをもらった。ほかにも、そうした恩人
たちがこの10年で次々と亡くなった。
 
そう遠くない将来、体験を語ることができる人はいなくなってしまうだろう。
筆者は新聞記者であり、かつ前述の「村山大学」の門下生である。恩師に恩返し
するためにも、一人でも多くの記憶を歴史に記録し、後世に伝えていきたいと思
う。