なぜSMAPだけが「国民的アイドル」になれたのか?

「異端」だった平成の象徴
柴 那典 プロフィール

異端だったからこそ、国民的アイドルになれた

一方、評論家の矢野利裕は『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)を著した。こちらは50年を超えるジャニーズの歴史を「アメリカと日本」という関係性から紐解く一冊だ。

初代ジャニーズ、フォーリーブス、たのきんトリオ、シブがき隊、光GENJI、SMAP、嵐など、ジャニーズ事務所が生み出してきた数々のタレントを、あくまでその音楽性に真正面から光を当てることで位置づける。

ジャニーズと日本』の物語は終戦後、ジャニー喜多川が敗戦国である日本に「アメリカ人」としてやってきたことから始まる。ロサンゼルスに生まれ、アメリカで育った彼は、50年代の在日アメリカ軍施設「ワシントンハイツ」(現在の代々木公園一帯)に少年たちを集めて野球を教えていた。その「ジャニーズ少年野球団」が、初代ジャニーズの母体となった。

ジャニー喜多川が『ウエスト・サイド物語』をきっかけに芸能業界への参入を決意したというのは有名なエピソードだ。彼のルーツはアメリカにあり、その価値観の根っ子にはミュージカルや舞台芸術への憧れがある。それゆえに、ジャニーズ事務所のさまざまなグループの中でも、高いレベルで歌って踊り、舞台をこなすスターが常に「本流」であり続けた。

そういう意味では、歌やダンスが決して上手いとは言えない、どころかそのことを自らネタにしてしまうSMAPは、ジャニーズの中では「異端」のグループだったと言える。しかし、異端であったからこそ、彼らは国民的アイドルとなった。

デビュー当時は決して順風満帆ではなかった彼らは、90年代初頭、『笑っていいとも!』や『夢がMORI MORI』を通じて、お笑いやバラエティに活路を見出していく。そうして、キラキラしたスター性ではなく身近でカジュアルな存在感を打ち出していった。

本書の中では、これらの番組を手掛けていた佐藤義和プロデューサーがジャニー喜多川に「アイドルグループであるSMAPを平成のクレイジーキャッツにしたいので笑いを教えてほしい」と持ちかけられていたというエピソードが明かされている。

ハナ肇とクレイジーキャッツは、音楽とお笑いが一体になったテレビバラエティの世界を築いた昭和の大スターだ。『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ 1961年~1972年)で一躍スターダムに駆け上がったその人気は、『8時だョ!全員集合』(TBS 1969年~1985年)で、やはりミュージシャン出身のザ・ドリフターズに受け継がれる。

そうやって考えていくと、一方でコントや料理ショーを本気で行い、一方でスター然とした歌と踊りを見せるライブを披露する『SMAP×SMAP』も、まさにこれらの番組の系譜を受け継ぐものだと言える。

「音楽×お笑い」は、常に日本のエンタテインメントの中心にあった。そして、平成という時代にそれを最も体現していたのがSMAPというグループだった。

だからこそ、時代のターニングポイントとなった2016年の年の瀬の今、彼らの「終わり方」が大きく注視されているのである。

編集部からのお知らせ!

関連記事