南伸坊画伯が一肌脱いでくれた奥道後ゴルフツアーのはなし

島地勝彦×田中知二【第3回】
島地 勝彦 プロフィール

シマジ 午後1時ごろ、おれが編集部に現われると、みんなが「大変です!」って寄ってきておれに一部始終を説明したんだよ。それでトモジを連れて社長室に行って「こいつは本当に優秀な編集者ですから勘弁してやってください」と叩頭して許しを請うたのに、返事もしない。

若菜さんは会津若松の人だから、一度こうと信じたらなかなか撤回してくれない。一度頭に「こいつはこういうやつだ」とインプリントされたら、一巻の終わりみたいなところがあるんだよ。

でもトモジは本当に週刊プレイボーイのエースだった。そこでおれが芝居がかってはいるけれど、ゴルフ好きな若菜さんを愛媛の奥道後にお誘いした。奥道後の坪内寿夫さんからフリーの航空チケットをもらっていたから、若菜さん、トモジ、南伸坊、それに同期で親友のヒロタニを連れて奥道後ゴルフツアーに出かけたんだ。

もちろん伸ちゃんには「かくかくしかじかなんでトモジをヨイショしてくださいね」と頼んでおいた。さすがは南伸坊画伯だったね。若菜さんに会った瞬間、開口一番「若菜さん、トモジは優秀な編集者ですよ」といってくれた。他人からいわれてやっと若菜さんは「そうか」という顔になったんだよね。

トモジ その前にシマジさんが「トモジが若菜さんにご無礼を働いて申し訳ありませんでした」といったとき、おれが「小さいことですから、社長は覚えていらっしゃらないでしょう」といったら、「ちゃんと覚えている」というんですよ。恐かったなあ。

シマジ あのときトモジは震え上がっていたよな。それくらい会津若松の人はいい意味でも悪い意味でも執念深いんだよ。

トモジ 司馬遼太郎がいっているんじゃないですか。「わたしは明治維新の歴史をみるに会津若松の存在を知るとホッとする」って。

シマジ たしかに最後まで徳川家について戦ったんだからね。

ヒノ そんな難しい若菜社長にシマジさんはもの凄く可愛がられたわけでしょう。どうしてなんですか?

シマジ それは本郷保雄専務の存在が大きいね。おれが入社した2年後に本郷さんはお辞めになられたんだが、おれはシバレン先生とか立木義浩巨匠なんかと、退職後も本郷さんとよく会食していたんだよ。そういうとき本郷さんはいつも料亭の請求書をおれの名前で送らせて、「シマジ君、若菜君のところに持って行って切ってもらいなさい」と根回ししてくれていたんだ。

だから若菜さんが常務だったころからおれが本郷さんに可愛がられていることを知っていたわけだ。本郷さんは、まだ若菜さんが慶應の学生だったころからの付き合いらしいね。若菜さんの同級生の親友が、本郷さんの息子さんだったんだよ。

とにかく、その2日間の奥道後ツアーで、トモジ事件は一件落着したという話です。

トモジ 可哀相なのは伸坊さんでしたね。われわれがゴルフを愉しんでいたとき、坪内さんがオーナーの新聞社の講演会にかりだされて一席ぶっていたんですから。

ヒノ でも南伸坊さんは心意気のある方ですね。

シマジ 伸ちゃんはトモジの親友みたいなものだったからな、トモジのためならと思って一肌脱いでくれたんだろう。そうだ。トモジ、今度おれが本郷さんと若菜さんの墓参りするとき、お前も一緒に付いて来い。

トモジ えっ、若菜さんは知っていますが、本郷さんはまったく存じ上げません。

シマジ なにをいう。週刊プレイボーイの生みの親は本郷さんだよ。そうだ、『熱狂』という週プレ50周年記念のムックを1人で作ったチカダも連れて行こうじゃないか。

トモジ ああ、はい、はい。それでは3人で参りましょう。

ヒノ シマジさんは若菜さんに帝王学みたいなことを教わったんですか?

シマジ ヒノ、よくぞ訊いてくれた。まだおれがPLAYBOYの副編集長のころ、若菜さんが日曜の夕方、成城の自宅におれを招いてくださったことがあるんだ。有名な寿司屋から出前を取ってくださって、食後にはブランデーのルイ13世をご馳走になって、2人で1本空けたころ、そろそろ終電でお暇しようと考えていたら、なんとハイヤーを呼んでくれたんだよ。

で、乗ろうとしたら、おれが集英社でいつも使っているハイヤーじゃない。すると若菜さんが「いいか、シマジ、リーダーになったら、絶対に公とプライベートは分けるんだぞ。お前は“明るい公私混同”なんてほざいているようだが、編集長になったら、公私混同はダメだ」といわれた。だからおれは編集長になってから、それをきっちり守ったんだよ。

トモジ そうですか。

ヒノ にわかには信じられませんね。公私混同こそシマジさんの魅力だと思いますが。