ブロックチェーンは「私たちの未来」をどう変えるか?

新技術の可能性について結論を急ぐな
池田 純一 プロフィール

結論を急いではいけない

ところで、なぜこのように、あれこれつまみ食い的に読んでみてはどうか、という薦め方をしているかというと、なによりブロックチェーンが現在進行形で変化しつつある技術・ビジネス体系であり、それゆえブロックチェーンについては多くの語り(言説)が流通し、様々な解釈や可能性が論じられているからだ。

さらにいえば、ビットコインのように実際に稼働するプログラムが制作されることで、それら可能性が現実化されるさなかにある。そうしたダイナミズムを肌で感じておくことがなにより大事なことのように思われる。その皮膚感覚の高揚感を、後日、思い返す時がきっと現れるからだ。

それは未来における次の発想を促す。そのためにも、流れのただ中にあるものを眺めておくことが大切だ。

裏返すと、あまり真面目に取り合ってしまうと、潜在的な可能性の芽を摘むような受け止め方になってしまわないかと危惧するからでもある。

 

以前、ビットコインを扱った際にも触れたことだが、簡単にいうと、いわゆるFin-Techの一つとして、出来上がった体系のような学習対象として受け止めてしまうのは、どうもブロックチェーンの場合は上手くない。特に日本の場合は、この分野は法的規制からの説明が先行してしまった印象が拭えないためなおさらだ。

けれどもブロックチェーンの醍醐味は、技術、文化、経営、芸術といった要素がない混ぜになった状態で、ひたすら可能性だけが際立っているところにこそある。そのような「ナマモノ」に対しては、むしろ積極的に「宙ぶらりん」な感覚を、あまり結論を急がずに保持しておくことが大切なのだ。

つまり、ブロックチェーンは、具体的な対象というよりも、ITの今後の可能性を示唆するような、あれこれのアイデアを生み出すための苗床のようなもの、その意味では様々な語りの源泉くらいにゆるく捉えておいたほうがよい。

どうもそのような「溜め」のあるITへの態度は、日本の家電産業のプレゼンスが低下しはじめて以来、日本ではあまり見られなくなってきている。

ガジェット開発の領域が後退した分、もっぱらアプリやサービスなどメディアの領域がビジネス開発の中心になったためなのもしれないが、しかしメディアのレイヤーは短期的なブームに左右されるため、息の長い見方をあまり許してはくれない。

ブロックチェーンという対象は、久方ぶりに現れた、この「息の長い」付き合い方が必要な、その意味でポテンシャルの高い領域であるといえる。

いや、むしろ、息の長いものとしてブロックチェーンを受け止めようとする態度が欧米人の間には根強く残っている、という方が適切か。それは、ブロックチェーンがもつ分散性、分権性、といった特性による。90年代初頭の、インターネットの民間開放時に夢見たことの再来だからだ。

当事者たちの期待と逡巡

実際のところ、ブロックチェーンはインターネットの登場に続く革命だ、という触れ込みがしばしば欧米の識者から生じるのも、むしろ、インターネットの商用化が行き着いた先が、Apple、Google、Amazon、Facebookの新たな四人組(Big 4)による寡占であったことに失望する古参の関係者が少なからず存在するためだ。

彼らにとって、ブロックチェーンは何かしら現在の均衡状態に風穴を開けるものとして期待されているところがある。

だから論者によっては、ブロックチェーンを通じて、シェアリング・エコノミーの次なる可能性を記したりする。というのも、ブロックチェーンの基礎に、分散型台帳というコンセプトとその実装技術があり、その「分散」という特性にヴィヴィッドに反応することで「シェア=共有」という別系統のコンセプトと積極的に交配させてみたくなるからだ。