「奴隷のままでは死ねない」シベリア抑留後を闘い続けた男たち

推計6万人死亡の悲劇から60年
栗原 俊雄 プロフィール

悲劇は今も続く

注目すべきは、その悲劇を産んだ11年もの抑留が、戦争が終わった後に起きたことだ。

さらに言えば、日本が独立を回復した1952年以降も4年間続いたことは、国民の生命財産を守るべき国家がその責任を果たしていなかった、と言わざるを得ない。

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ソ連極東のハバロフスクには、冒頭の男性ら理不尽に「戦犯」とされた者など、1000人以上が抑留されていた。同地の収容所では日本人の扱いが劣悪で、収容所側が病気などで体力が弱っていた抑留者を労働にかり出そうとした。これがきっかけになって1955年12月、抑留者およそ800人が作業拒否のストライキに入った(「ハバロフスク事件」)。

「ソ連に何をされるか分からなかった。でもどうせ死ぬならやってやろう、という気持ちだった」

筆者の取材に、別の男性はそう回顧する。

 

ストライキは翌1956年3月、ソ連軍による放水などの実力行使で終わった。当時の首相、鳩山一郎(1883~1959)はソ連との国交回復を強く施行していた。その上でハードルになったのが北方領土の問題だ。

終戦前後、火事場泥棒的にソ連が占領した歯舞、色丹、国後、択捉の各島を、固有の領土として返還を求める日本と、それを認めないソ連との交渉は難航した。ソ連にとって11年前に拉致したままの日本人は、交渉を有為に進めるためのカードであった。いわば「人質外交」である。

ハバロフスク事件は報道で日本に伝わり、北方領土の早期帰還を求める声が高まっていた。結果として1956年10月19日、日ソ共同宣言が締結され国交は回復した。周知の通り歯舞、色丹は両国が平和条約を締結した後、日本に返還されることとなった。つまり、昨今改めて注目されている北方領土問題は、シベリア抑留と密接に関係していたのだ。

ともあれ、共同宣言によって日本人抑留者は帰国した(「総ざらい引き揚げ」)。しかし帰国した抑留者たちにとっては、新しい苦労が始まることにもなった。

奴隷のままでは死ねない

「奴隷のままでは死ねない。お金のためにやっているんじゃない」

シベリア抑留の経験者らからなる全国抑留者補償協議会(全抑協)の会長だった平塚光雄さんは生前、筆者の取材に繰り返しそう語っていた。「20世紀の日本で奴隷がいるのか?」と疑問に思った読者もいるだろうか。

生きて帰った人たちの多くを苦しめることになったのが、補償問題だ。

抑留犠牲者たちは国際法違反の拘束をされていたのだから、補償を受ける権利がある。さらにソ連は労働を強制しながら、対価である賃金をまともに支払わなかった。平塚さんが「奴隷」と言うゆえんである。

共同宣言締結に当たり、両国は戦争にまつわる補償の請求権を相互に放棄した。この点だけみると、日本は大損をしたと言わざるを得ない。

ソ連は①日ソ中立条約が有効であったにもかかわらず一方的に破棄し、侵攻してきたこと、②およそ60万人もの抑留、③日本固有の領土だった北方領土に侵攻、不法に占拠した。いずれも、本来ならば相当の補償がなされるべきものだ。

一方、日本がソ連にしなければならない補償はどうか。「ゼロ」といいたいところだが、両国の間で何があったか完全に解明することができない。それでも上記の①~③に比べれば、はるかに少ない。

ソ連は、極東ハバロフスクに抑留されていた1000人以上の日本人を、交渉のカードとした。日本政府は彼らの帰還を実現すべく譲歩したのだ。そして帰国が実現した。それ自体は評価されるべき外交成果ではある。問題は補償を受けるべき人たちが受けられなかったことだ。

ソ連への補償請求権を放棄した以上、抑留被害者に補償するのは日本政府の責任である。多くの人たちがそう考えるのは自然だろう。しかし、日本政府はそれを拒んだ。1981年、全抑協は未払い賃金の補償を国に求めて東京地裁に提訴した。

しかし敗訴。東京高裁でも敗訴し、1997年に最高裁で敗訴が確定した。以前、本欄の拙稿でみた、「戦争被害受忍論」=「戦争では国民全体が被害を受けた。だからみんなでがまんしなければならない」という「法理」が高い壁になった(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48949)。

「国民」のうち旧軍人と軍属、遺族は軍人恩給など国家による様々な援護がなされたが、民間人にはそれがほとんどなかった。

「受忍論」とは、「軍人軍属など、国家と雇用・被雇用にあった者たちを除く、民間人だけはみんな、戦争被害を我慢しなければならい」という、差別的な理屈である。冗談のような内容であることから、筆者はカッコ付きの「法理」としている。

ともあれ全抑協の提訴以来、抑留経験者が国に補償を求めた裁判は、最高裁で判決が出たものだけでも4件に及ぶ。すべてが原告敗訴である。今のところ、最高裁による最後の原告控訴棄却は2013年である。つまりごく最近まで、抑留経験者は国と闘っていたのだ。