2.26事件の10ヵ月後、クリスマスの銀座は底抜けの騒ぎだった

詩人・萩原朔太郎はこう見ていた
堀井 憲一郎 プロフィール

相変わらず銀座は大にぎわい

1934年12月8日の「〝Xマス景気〟打診」の記事。

「先づダンスホールやカフェバー等の装飾を引受ける浅草の某問屋、ここでは何とした事か、昨年と較べて三四割減だという」

「三四割減の原因は、第一に風害凶作で一般に遊び気分がない事、次にカフェーバーなどでクリスマス気分を喜ぶ学生群を閉め出しているとにらんでいる」

東北飢饉と、カフェー、ダンスホールで学生を締め出しているので、景気が悪いようだ。

ただ、「同じ問屋でもデパートや玩具商を対象とする店では、今年の景気も相変らず盛んだ」「日本橋のM商店では今年のクリスマス景気は大変なもので、今まで売りつくしたクリスマスカード約三万、昨年の三倍で、輸入絵本も二倍の入荷が早くも売り切れの心配だそうだ」

クリスマス騒ぎと、それにまつわる消費が冷え込んでいるわけではない。

クリスマスイーヴの街の風景はこうだ。

「Xマス前夜の景気」 

「二十四日クリスマスイーヴ……銀座街頭に紋付、袴で日の丸の国旗を振りかざした人々が氾濫し、一方には道化帽、仮面姿で「あな嬉し、喜ばし……」と足もそぞろだから、今年のクリスマス風景はすさまじい。国際情勢の変化か日本精神のめざめか、難しい事情は抜きにしても、こんなクリスマス風景は珍しい」

「帝国ホテルの仮装舞踏会も今年は取止めだが、それでもクリスチャンであるなしは別として、クリスマス気分をふだんから多分に持ち合わせている学生・若人、それにサンタクロースにあこがれる子供達は、同等に口腹の楽しみを各所で満たせて、余勢を街頭に現している(写真は昨夜の銀座通り)」

相変わらず人でごった返している銀座の写真が載っている。賑やかなクリスマスは相変わらずであるが、東北飢饉の影響からか、やや沈静のきざしが見える。前年1933年がクリスマス乱痴気騒ぎのピークだとおもう。

 

クリスマスには事件記事が目立つ

1935年にはあまり騒いでいるクリスマス風景が報道されていない。

1935年12月8日に東大、青山学院、女子聖学院などのいくつかの大学によるXマス合同礼拝が日比谷公会堂でおこなわれたという記事が目につくくらいである。銀座のクリスマス飾りについては、ことしも見事で、見とれている人たちの描写がある。ただ、クリスマスパーティそのものの記事は見当たらない。

クリスマスには事件記事が目立つ。

「Xマスを前に 牧師が放火 立教大学の教授」

西荻窪の火事は、牧師が火を付けたものであったという記事が12月25日に載っている。

またその日「黒色テロ首魁 二見敏雄 捕わる」「風の如く帝都潜入 凶魔・銀座街を遊歩 Xマスの誘惑に敗残す 手に六連発と実弾」という記事が大きく掲げられ、首魁の二見が手錠をしたまま煙草に火を付ける写真が大きく載っている。その捕り物劇を詳細に報道していて、いま読んでもおもしろい。

彼は東京高田農商銀行襲撃の首魁であり、神戸で党員芝原潤蔵をリンチに処して惨殺した黒色共産党の巨頭、だそうである。「廿四日夕七時ごろ銀座二丁目大倉組前で警視庁特高課員に逮捕」「廿四日は『友人がクリスマスの御馳走をすると云うから……』と云って外出中捕まったものである」とのことである。クリスマスに対しての当時の空気がわかる。

カフェー、バー、ダンスホールに関する記事はないのだが、その広告はとても多くなっている。

小さい短冊型の広告で、クリスマス期間は、時間延長やオールナイトでの営業で舞踏会を開いている、としきりに宣伝している。やや自粛方向ではあるが、しかししっかり盛んにクリスマス特別営業をしているようだ。