紅白歌合戦 極秘の「選出基準」に迫る

「ザ芸能界 TVが映さない真実」第8回
田崎 健太 プロフィール

一方で紅白には、芸能プロダクションからの、いわゆる「抱き合わせ出演」要請による出場者の存在も噂されている。例えば、今回落選して話題となった前述の和田アキ子についても、和田と同じホリプロ所属の高畑充希が司会者候補に挙がっていたことから、業界では発表の直前まで出場するものとみられていた。

島田はこうした要請の影響を否定する。だからこそ、和田は落選したのではないかと。

「少なくともぼくの頃には、そういうことはなかった。紅白は年に一度のお祭りです。出演者、ゲスト、審査員の顔ぶれで今年の流れが分かる、ということを最も意識していました。気にしていたのは、暴力団関係だけ。

NHKの会長が口を出すなんてことも、当時はありませんでしたね。ぼくが芸能番組部長をやっていたときの会長は、川口(幹夫)さんと海老沢(勝二)さんでしたが、2人ともあまり芸能に詳しくなかったので、『決まったら早めに教えてくれ。次の会長記者会見で突っ込まれたら困るから』という程度でした」

紅白の出場者選定というブラックボックスには、とかく芸能プロダクションとの癒着の話がつきまとう。有力な歌手を多数抱える大手芸能プロダクションの社長は、出場者の「枠」を持っている、という話も半ば定説になっている。

 

告発されたNHK局員

これについても島田に尋ねてみた。

「昔は渡辺プロの歌手が10組も出ていて、放送が終わった後に(渡辺プロ創業者の)渡辺晋さんの家で宴会をやった、という話がありました。でも、ぼくたちスタッフは『枠』なんて全く意識していなかった。逆に、あるレコード会社所属の歌手が1組も出場できなかったこともあります。

ジャニーズ事務所も、フォーリーブスの後、しばらく紅白に出場できる歌手が出てこなかった。その時期も、ジャニー(喜多川)さんは毎回紅白を見に来ていたんです。

『大晦日にここに来てないと、ダメになっちゃう。これを目標にパワーを出さないといけないんだ。自分の家のテレビじゃ見てらんないよ』とおっしゃっていた姿を今でも覚えています」

一方で島田は、「落選者」の扱いについては、事前に根回しをしてきたことを認めた。

「本人が発表を見て初めて、あっ、落ちている、というわけにはいかない。だから、三波春夫さんや村田英雄さんには、発表の10日ほど前に『申し訳ないんですが、若い人間に譲ってくれませんか』という話をしに行きました。

今後もNHKの芸能の番組には引き続きご協力をお願いします、という話もきちんとしなければなりません。この世界では、いきなり闇討ちのようなことをやっていたら、長続きしないですよ」

紅白出場は、歌手・アーティストのキャリアと人生を大きく左右する。

特に、「紅白歌合戦出場」という称号に最も重みがあるのが演歌歌手だ。紅白という看板は、CDの売り上げや「営業」と呼ばれる小規模のステージ活動のギャラに直結する。初選出はもちろん、出場が途切れることも、彼らの収入とプライドに関わる死活問題である。

10月に入ると、NHKの紅白に関わる部署では、芸能プロダクションとの接触禁止令が出る。それでも接触を試みる関係者もいるという。

以下はあるNHKのディレクターの証言である。

「ぼくが上司と飲んでいると、頼んでもいない料理がどんどん出て来る。おかしいなと思ったら、柱の陰に顔見知りのレコード会社の人間がいた。ぼくたちが出入りしそうな店に張っていたんでしょうね。出てきた料理の代金は、全て自分たちで払って出てきましたが」

NHK内部でも、様々な思惑が交錯する。島田にはこんな経験がある。

「ある年、1月4日に人事部に呼ばれたんです。すると、『君は紅白の出演者を決めるとき、車を1台貰ったらしいな』と言われました。僕の名前と『車を1台受け取りました』と書いてある名刺が送られてきた、というんです。もちろんぼくの筆跡ではないです。そもそもぼくは車の免許、持っていなかったんですから」

また、島田の同僚が韓国のカジノで接待を受けた、と告発されたこともある。その同僚はパスポートを取っていなかった。

「『俺が口を利けば出られるから、金を寄越せ』なんてやっていた局員もいたのかもしれない。落ちたら『残念だったな』と言えばいいだけだから。そういう意味では、それだけの人気番組ゆえに、裏では色んなことがあったかもしれませんね」

演歌歌手とは逆に、ロックやニューミュージック系の歌手は紅白を敬遠した。島田が言う。

「彼らは『大晦日にわざわざ出たくないよ』という感じでした。松任谷由実さんに出演交渉したときは『おせち料理を作らないといけないからダメ』と言われて驚いたものです。矢沢永吉さんも、『僕のバックバンドは全員が外国人。彼らは12月末に帰国しちゃうから、31日まで置いておけない』と。井上陽水さんみたいに、単に『恥ずかしいから』と言って断る人もいました」

潮目が変わったのは、前述のように、'02年に初出場した中島みゆきが『地上の星』を歌い、年明けからCDの売り上げが激増したときだった。