【真田丸 最終回】堺雅人と内野聖陽がいま語る「幸村と家康の生涯」

大注目の結末は…?
週刊現代 プロフィール
関ヶ原の前、家康は自身に仕えるようにと信繁を誘うが、断られる〔PHOTO〕NHKホームページより

幸村は課長のような存在

堺が語る。

「大坂冬の陣、夏の陣の場面で幸村を演じているとき、今の日本で一番近いのは誰だろうと考えたら、きっと市役所の課長さんクラスがこんな感じなんだろうな、と。

任された現場で不測の事態、たとえばダムの決壊とか、プラントの爆発とかといったことが起きた。現場に急行し、事態の収拾を図ろうとするが、上層部はなにも決められず、現場への指示も一貫しない。

そんな中、現場の最高責任者として何かを決断する……たとえば、そんな状況が、幸村の立場に一番近いのではないかと思いました。昔から日本は、そういう人たちに本当に支えられているんだな、とも思いましたね。

最後に家康と対峙するときには、なるべく現実的なことだけに意識を集中するようにしていきました。

鉄砲で相手を狙うんですが、その間合いが正しいのか、方向が間違っていないかとか、演技がどうのとかいうよりも、一撃で仕留めるにはどうすればいいのかなど、シミュレーションをしながらやっていたので、そこにあまり情緒が入り込む隙はなかったですね。

家康を仕留めるということは、もちろん殺人ではあるけれども、幸村にとっては目の前のトラブルを収めるという現実。後世の評価は、後からついてくるものなので、実際の戦場では、そんなことは考えてなかったんじゃないでしょうか」

 

狙われる家康の側もまた、様々な思いがあったという。内野は言う。

「最終盤の場面では、家康なりの愛情を持って幸村と対峙しています。ただ単に真田が憎い、鬱陶しいというだけじゃなくて、『これからは平和の世だぞ』『俺を殺しても、何も変わらないんだぞ、目を覚ませ』というような、親父が息子に対するような慈しみの心を少し込められたかな、と」

史実では、夏の陣で信繁は討ち死にを遂げ、豊臣家は滅亡し、徳川幕府による泰平の世が訪れる。

その一方、「真田幸村」という武将はその武勇から「日本一の兵」と称えられ、現代にまで語り継がれるようになった。

「僕は、幸村というのは、戦いのためのコードネームというか、肩書に近い何かなのかなと勝手に思っていました。大坂夏の陣から間もなくして、軍記物で既に幸村という名前になっています。

軍記物は読み聞かせのお話のようなものだから、民衆がこうあってほしいという虚構から求められた名前だったというのが、真田幸村という武将のすごく魅力的なところなのかな、と。

幸村の人生を生き抜いてみてどうかというと、平凡といえば平凡ですし、平凡な人が本当に非凡なことをしたというお話のようにも思えます。

真実の信繁は……きっといい奴だったんだろうな、という気がしています」(堺)

「週刊現代」2016年12月17日号より