少年のようにサッカーを愛する男は、なぜ監督とぶつかって干されたか

安永聡太郎Vol.1
田崎 健太 プロフィール

「ぼくとしたら監督と揉めたとか、そういうつもりはなかったんですけれど、信頼を失っていました。紅白戦にも参加させてもらえない時期があった。

紅白戦などで出られれば、信頼を取り戻すチャンスもあるじゃないですか? そういう場を与えられなくなっちゃった。だったら選手としてプレーできる可能性のあるところでやりたいという話を6月頃からフロントの人にしていたんです」

ラザロニからはっきりと嫌われていると自覚したのは、2002年のワールドカップ開催中のことだったという。

「その頃、人がいないから紅白戦に出られていたんですよ。自分でも動けていると思っていたし、周りにもそう評価されていた。しかし、試合になるとベンチにさえ入れてもらえない。

スタメンはないにしてもサブはあるだろうと思っていた試合で19歳ぐらいの若い選手を連れて行って、いきなり使ったんですよ。ああ、(自分が起用されることは)もうないなと思った。フロントもこのまま日本にいさせても良くないと判断したんでしょう」

8月あたま、ファーストステージ終了の2日後、安永は日本を出てスペインに向かっている。行き先がスペインだと聞いたのはその1週間ほど前だったという。

「フェロールだとはっきりと決まったのは、2、3日前。それで慌てて支度して飛行機に乗ったんです」

フェロールに着いてみると、安永は自分に対する扱いが冷ややかなことに気がついた。待ち構えていた地元紙の記者から、「すでにフェロールの外国人枠3つは埋まっている、通用する自信はあるのか」と詰問されたのだ。

 

初めてではなかった監督との衝突

安永はフェロールから請われて来たのではなかった。テストを受けて、良ければ移籍するという話だった。

テストは4日間、2試合の練習試合――。

初日の練習に参加しながら、“このクラブならば自分は合格するだろう”と安永は確信していたという。

「チームに同じようなタイプの選手がいなかった。(フォワードのうち)2人は躯が大きくて、中でも1人は(前線で躯を張る)それ命みたいな選手。フェロールはボールを回せるようなチームではなかった。

4-4-2(システム)だったんですが、中盤の中央の2人は、こぼれ球を拾うのが得意だけれど、ボールをさばけない。パスを繫ぐことができないと思っているのか、戦術としてやっているのかは分からなかったんですが、前線のでかいのにボールを当てて、それを拾いましょうというサッカーでした」

安永はポストプレーヤーの落としたボールを狙って、前に走り込むプレーを心がけることにした。そして安永は契約を勝ち取ったという――。

ぼくは安永と初対面だった。それにもかかわらず、彼はフェロールの選手たちの特徴、システムの問題点を、身振り手振り、文字通り堰を切ったように話し始めた。

多少ぶっきらぼうなところはあるが、彼がまっすぐにサッカーを愛していることは伝わった。そんな彼がなぜラザロニ監督から干されたのか、理解できなかった。

そしてもっと不可思議だったのは、監督とぶつかってチームを追われたのが、初めてではなかったことだ――。

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