海外留学志望の高校生たちを翻弄する、いかがわしい「物語」

そして若者は神経症を患わった
寺田 悠馬 プロフィール

「界隈」が抱える本末転倒

学部留学という選択には、なぜ特別な価値が付与されてしまうのだろうか?

シニカル(冷笑的)に考えれば、学部留学を特権的な場所に祭り上げることによって、そこへのアクセスを仲介する「留学界隈」が、自らの存続意義を捏造しているとも解釈できる。

 

だが、そういった団体も例外的に散見される一方で、「留学界隈」という場所は、概ね善意的に運営されているはずだ。それにもかかわらず、学部留学がどこか特別なものとして誤認されているならば、それは単に「留学界隈」の運営者の大半が、学部留学の経験を持たないからではないだろうか。

筆者がアメリカの大学に学部生として在籍した十数年前でさえ、同世代の日本人留学生の数はごく僅かであったことを鑑みると、近年急増した「留学界隈」の運営者の多くは、大学院留学、あるいは語学留学の経験があったとしても、学部留学の経験者ではないと考えるのが自然なのだ。

こうした状況下、ともすると見失われているのが、学部留学とは、社会人経験を積んだ者が行う大学院留学や語学留学と、根本的に異なる行為であるという認識だろう。

つまり、概ね18歳から22歳という精神的に未成熟な時間を、異国の地で、独りで過ごすという選択は、キャリアの躍進や外国語の習得といった、労働市場における価値を創出するための手段としてだけでは、到底成立しない。より正確に述べると、学部留学の経験が、あくまでも結果的に、キャリアの躍進、あるいは言語習得につながることがあったとしても、当初からそれらを目的に器用に実践できるほど、学部留学は簡単なことではないのだ。

学部留学の動機たり得るものがあるとすれば、それは、その選択に伴うとてつもない不安と表裏一体であり、かつその不安を唯一正当化し得る、当人の好奇心に他ならない。そういった意味で、学部留学志望者が示す好奇心は、国内の大学への進学を希望する者が抱く好奇心となんら変わらず、さらには、大学進学をせずに、プロスポーツ選手を志す者、起業する者などの行動を促す好奇心と比較して、優るものでも劣るものでもないのだ。

個々の理由はなんであれ、10代半ばという年齢で、たまたま異国での生活に対する好奇心を抱く者がいるならば、彼らのその好奇心と、そして不安とが肯定される場所という限りにおいて、「留学界隈」は機能し得るだろう。そこは決して、当人たちの好奇心とは一切無縁の、例えば「肌の色が異なるチームメイトたちとの写真」といった偶像の捏造された価値を、彼らに強要する場所であってはならないのだ。

「留学界隈」という記号は、数多の教育団体、専門塾、コンサルタントからなる「界隈」がある一方で、「留学」という一つの「中心」が存在するかのように思わせる。秘密に包まれた、特権的な中心に学部留学が隠蔽され、そこに接近しようとする者の不安を増長させ、好奇心を毀損し、やがて神経症を患わせる構造が成立しているとしたら、それは本末転倒である。

数十年に一度しか公開されない秘仏が、その接近不可能性ゆえに価値を保持しているようなことが、学部留学に関してあってはならない。「留学界隈」の中心を試しに開帳してみたならば、実は本堂が空っぽであることを我々は目撃するだろう。

祭り上げられた特権的な場所から、学部留学を引き摺り下ろそう。

寺田悠馬 (てらだ・ゆうま)
株式会社コルク取締役副社長
1982年東京生まれ。投資銀行、ヘッジファンドにて国内外勤務を経て現職。コロンビア大学卒。著書に『東京ユートピア 日本人の孤独な楽園』(2012年)がある。Twitter: @yumaterada