海外留学志望の高校生たちを翻弄する、いかがわしい「物語」

そして若者は神経症を患わった
寺田 悠馬 プロフィール

祭り上げられた特権的な場所

誤解を避けるために書き添えると、「留学界隈」を構成する団体の多くは、学部留学志望者に不当なプレッシャーを与える意図など少しも持ち合わせてはいないだろう。彼らは極めて善意的に、例えばアメリカの大学受験の一環として課される、SATと呼ばれる標準テストの受験方法などを教授しているに過ぎない。

 

アメリカに行けば、アメリカ人高校生を対象に同様のサービスを提供する団体がいくらでも存在することからも明白なように、「留学界隈」の機能は、日本でいうところの予備校のそれと概ね変わらない、ごく普通なものと言えるのだ。

それにもかかわらず、「留学界隈」という場所には、まるでそこに帰属することが先端的であるかのような、特異な自意識が漂っている。排他的な会員制クラブをも彷彿させるその自意識は、「これからの時代」において、国外の大学への学部留学という選択が、国内の大学への進学という選択に比べて、どこか優れているという、いかがわしい価値体系を根拠としているのだ。

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ともすると「留学界隈」に留まらず、社会のより広域に介在するこの価値体系は、例えば筆者が「留学界隈」からいただく、「留学後のキャリア形成」といった内容の講義依頼に確認することができる。

キャリアにおける「成功」など定義し得ないという指摘はこの際控えるとして、この種の講義依頼から読み取れるのは、何らかの成功(と呼ばれるもの)と、学部留学とを、直線的な因果関係で結ぶ物語に対する「留学界隈」の欲求である。

だがそれは、学部留学を経験せずとも充実したキャリアを送る人、あるいは、学部留学を経験してもキャリアに悩む人が、それぞれ数多いるという事実を、あからさまに無視しなければ到底構築できない物語であるのは言うまでもない。

そうと知りながらも、筆者が仮に「観客」の期待を察して、「グローバリゼーションが加速する昨今……」、もしくは「中国の台頭によって、日本の地政学的、経済的地位が相対的に低下する昨今……」といったくたびれた言葉を並べて、「これからの時代」は学部留学が必要だと説くとするならば、それは前述の男子高校生が、「観客」の期待に沿ったレポートの執筆を試みたことと何ら変わらない。

つまりそれは、男子高校生、そして筆者の実体験とは無縁の、「留学界隈」によって捏造された学部留学の特権的なイメージを、忠実になぞるだけの行為となってしまうのだ。

かくして「留学界隈」によっていかがわしい価値を付与され、特権的な場所に祭り上げられてしまった学部留学のイメージは、「留学界隈」に帰属する者たちの特別な自意識を正当化するだろう。同時に、その特権的な場所への接近を試みる学部留学志望者たちを拒み続け、彼らに神経症を患わせてしまうのだ。