海外留学志望の高校生たちを翻弄する、いかがわしい「物語」

そして若者は神経症を患わった
寺田 悠馬 プロフィール

「留学界隈」という言葉

社会人経験を積んでからの大学院留学ではなく、言語習得を目的とした語学留学でもなく、国外の4年制大学への学部留学を目指す日本人高校生が、近年増えているのか減っているのか定かではない。だが一つ確実なのは、彼らの存在が以前より可視化されたことだ。

日本人高校生の、主にアメリカへの学部留学支援を行う教育団体、専門塾、コンサルタントの類は近年急増し、これに伴い学部留学志望者が増えたように見える。一方で、もともと散在していた志望者たちが、こうした教育機関に集うことで、一つの集団として社会にその姿を現しただけかもしれない。

いずれにせよ、筆者は教育者ではないが、日本で生まれ育ち、過去にアメリカの高校と大学を受験したため、この種の団体に講師としてお呼びいただく、または団体を介して学生から直接連絡を受けることがある。

これら団体、および学部留学志望者たちが集う場所を、筆者は本コラムで「留学界隈」と呼びたい。捉え難い輪郭の対象を論じるにあたって、執筆の便宜上、なんらかの記号を付すことが好ましいからではなく、「留学界隈」という言葉が、学部留学志望者たちによって実際に用いられているからだ。

この言葉を初めて聞いた数年前、筆者はある教育団体のお声がけで、学部留学志望者を対象とした勉強合宿に参加していた。3泊4日の行程の初日にかかわらず、全国から集った50人ほどの高校生の多くが、既知の間柄である様子に違和感を覚えて尋ねたところ、学生の一人がその言葉を発した。

「だってみんな、留学界隈でよく会うよね」

そう言って彼女が周囲を見渡すと、他の学生たちも当然のように同意する。

教育団体、専門塾、コンサルタントが主宰する勉強合宿やセミナーの類に参加する度に、同じ学生、運営者、講師と遭遇し、さらにSNS上でつながりを維持する彼らの間で、「留学界隈」という記号は、その定義を改めて確認するに及ばないものとして流通しているのだ。

筆者が日本からアメリカの高校を受験したのは90年代後半だが、当時はアマゾンが日本でサービスを開始する前だったこともあり、留学に関する情報は少なく、何よりも、他の留学志望者と出会うことはなかった。そうした状況に比べると、留学志望者が互いの存在を知ることのできる「留学界隈」は、概ね心強い場所と言えるだろう。

一方で、筆者は「留学界隈」という場所が、一種の神経症を患っているように思えてならない。

前述の男子高校生の例を挙げるまでもなく、「留学界隈」で出会う学生たちと、集団を離れ、個別に会話する機会があると、抑制されていた不安が表面化し、唐突な生理現象とともに露出することが驚くほど多い。

彼らは、留学という行為そのものに伴う、ホームシックや疎外感とはまったく異なる種の不安、つまり、「留学界隈」に生息する「観客」たちの視線を意識するばかりに生じる慢性的な不安を抱えてしまっているのだ。

学部留学志望者たちは、なぜ神経症を患うのか。それは、「界隈」と表現し得るあらゆる場所において不可避な、人間関係の軋轢と解釈することもできるだろう。

かくいう筆者も、一連のイベントに講師として参加することによって、図らずも「留学界隈」の構築に加担してきてしまったと言わざるを得ない。だが筆者は、そうした説明だけでは到底退けられない、一つの大きな誤認が「留学界隈」に蔓延していると思うのだ。