“ぶっ壊し屋”トランプ勝利は本当に「エリートの敗北」だったのか

プラグマティズムから読み解く
小川 仁志 プロフィール

今回の大統領選挙では、候補者の個性に注目が集まったことや、政策よりも互いのスキャンダルに対する中傷合戦が前面に出てしまったために、あまり政治哲学的な議論が見られなかった。

もちろん、より平等や福祉に配慮し、個人の権利を重視するリベラリズムが、アメリカ人の政治哲学を代表するものであることには変わりない。また、より経済的自由を重視し、同時にキリスト教的な伝統を保持しようとする保守主義がもう一つのアメリカ人の政治哲学を代表しているのもたしかである。それにもかかわらず、今回はそれ以上に既得権益を打倒したいという大衆の不満が大きかったのだろう。

ここで冒頭にも触れたもう一つの思想的伝統であるプラグマティズムが関係してくる。

知識よりも実を重視

プラグマティズムとは、他の多くの思想とは異なり、ヨーロッパではなくアメリカで生まれた思想である。内容的には、うまくいけばそれが正しいとするところに本質がある。それゆえ「実用主義」などと訳される。

つまり、どういうやり方が正しいのかわからないとき、制度設計に時間をかけるのではなく、まず色々やってみて、うまくいけば結果的にそれが正しかったとみなすのである。

これは従来ヨーロッパで支配的だった思想とは対極にあるものといえる。ヨーロッパの思想は、あたかも知識人のゲームよろしく、論理的整合性を追求することに終始してきた。いわば知識そのものを追求してきたのだ。

その結果、時代の急速な変化に対応できず、社会は衰退してしまった。アメリカは、その同じ轍を踏まないようにヨーロッパから脱出してきた人たちがつくった国であり、当然そこにはまったく正反対の思想が求められたのである。

それこそが、むしろ結果のために知識を道具として実践する思想、プラグマティズムにほかならなかった。

 

草創期には、C・S・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイの三人の哲学者がプラグマティズムの基礎を作り上げ、現代社会においてもリチャード・ローティやその弟子であるロバート・ブランダムといった継承者たちが、ネオ・プラグマティストとして思想を発展させている。

彼らの思想は多岐にわたるが、あえてまとめるなら、知識そのものの追求とは異なり、「知識のあくなき実践」であるといえるのではなかろうか。その意味でのプラグマティズムが、伝統としてアメリカを暴走させることなく、うまく発展させてきたと考えるのである。

そして、まるでそのプラグマティズムをエンジンとするかのように、いくつかの思想がサブカテゴリーのごとくアメリカを動かしているというのが私の見立てである。

察しのいい方はお気づきかもしれないが、これはマルクスの上部下部構造のアナロジーである。マルクスは、経済を下部構造として、社会制度や思想はそれに規定される上部構造だと唱えた。これを応用して、プラグマティズムを他のあらゆる社会制度や思想を規定する下部構造ととらえるとどうなるか?

これまでアメリカを動かしてきたと思われているリベラリズムや保守主義は、プラグマティズムに左右される上部構造に過ぎないことになる。

上部構造の選択肢については、下部構造としてのプラグマティズムによって、状況に応じてよりうまくいく「正しい」選択が柔軟になされるわけである。リベラリズムのほうが都合がよければそちらが、保守主義のほうがよければそちらが選ばれることになる。もちろん候補者の選択も含めてである。

新しいアメリカが必要な時にはそれを体現する候補者が、強いアメリカが必要な時にはそれを体現する候補者が実に柔軟に選ばれる。