なんとベタな。と思った。
雑居ビルの2階の壁面には、小僧さんが「どうぞ」とばかり手をこまねく大きなイラストが目に入り、「みんなのお寺」と書いた青い電光看板が光っている。側面には「古都奈良 十輪院」と大きな文字。おまけに「高野山直送 ごまどうふ 販売中」とのボードまで置かれているではないか。
とある土曜日、神保町の本屋さんに行った帰りに白山通りで出くわした「なんだろう、ここ?」な場所。
いつぞや六本木で「お坊さんカフェ」のようなところに足を踏み入れかけたが、オシャレすぎて気後れし、引き返したことを思い出す。ここはハードルが低そうじゃないかーーと思って、階段を上がってみた。
ドアを開けると、「ようおこしくださいました」。紫色の衣を着た若いお坊さんが笑顔で迎えてくれる。靴をぬいで8畳ほどの畳スペースにあがる。
厨子に大日如来像が鎮座し、壁にも仏絵が貼られた明るい空間で、ご住職とおぼしきお坊さんと30代から40代くらいの男女5人が輪になり、お茶と菓子をつまみながら話し込んでいた。端っこで、聞き耳を立てる。
「……私ね、ひらめきとか以心伝心とか、このごろよく感じるんです。これを言ったらバカにされるかもと思うので誰にも言わなかったんですが」とショートカットの女性。
「あっ、わかる。僕もそういうことあります。何もかもうまくいかなって、明日のお金にも困るって時に、たまたま会った人に助けられたり、いい仕事にご縁ができたり。ただ偶然と思えない、思いが通じた、とか」と、求人雑誌『Worker』を手にしていた男性。
もう1人の細身の女性はずいぶん重い自身の話を明るい口調で持ち出した。「そうそう。私、ここへ初めて来た時『もうお浄土へ行こう』って気持ちだったんですよ。お浄土へ行く前に、最後にちょっと仏様を拝ませてもらおうみたいな。なのに、話を聞いてもらったおかげで今こうしてここに生きている」
「ひらめき」「以心伝心」「ご縁」がキーワードの話がひとしきり続く間、にこやかに相槌を打っていたお坊さんが「科学万能の世界に見落とされてきたことも、いちがいに否定できないやないか、って思いますよね」とやんわりと切り出した。
「人間には、心という目に見えないものがあるでしょう。実は私、先ごろ母親を亡くしたんですが、人は亡くなると体は滅びるが、心はどこへ行っちゃうのかと思いましたよ。もともと目に見えない心は、人が亡くなっても無くならないやないかなと」
「霊というものですか?」と先の女性が聞く。
「目に見えないものに対する畏敬の念。それが仏であり神であるんじゃないでしょうかね。人は、信じることにより安寧を得る……」
話は深くなっていき、参加者らは「畏敬の念」についての思いや体験を口々に語った。
あるいはーー。
「お経の時、鈴を派手に鳴らすのは何宗ですか」
「経済と宗教は相反しますか」
「クショウシジンって子どもの時に聞いた記憶があるんですが、どんな神様ですか」
「三位一体の概念は仏教にもありますか」
お坊さんに次々と質問が飛んだかと思えば、いつしか格差社会からこども食堂の話に続き、
「こども食堂というのは、そんなに広まっているんですか」とお坊さんが参加者に質問する一コマも。気がつけば、私も話の仲間入りをしていた。
夕方5時半、経本が配られ、「お勤め」の時間となる。お坊さんの読経に合わせ、読める人も読めない人も口を動かし、お開きに。帰り際、女性の1人は千葉から来た常連、男性の1人は都内に住むフリーター、お2人とも「偶然通りかかって、面白そうだなと足を踏み入れたのが来るようになったきっかけ」と教えてくれた。