# 現代史

溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ

たそがれる国家(2)
内山 節 プロフィール

とともにもうひとつ重要だったことは、社会の再配分システムをつくりだすことだった。

そのひとつの軸は税制と社会保険、社会保障システムの構築である。

累進課税や財産税などの制度などが試みられ、所得に応じた社会保険料を支払うことによって誰もが平等に医療制度などを活用できるようにする。子どもたちは親の所得と関係なく学校教育が受けられるようにし、公共住宅の建設や全国的な交通網の確立、収益基盤の弱い産業への支援などがおこなわれていった。

さらに述べれば、再配分システムにとって重要な軸のひとつに安定雇用の確立があった。日本では戦後の高度成長期に生活給的な賃金体系と終身雇用制がつくられたが、これも収益性の高い分野から低い分野への再配分システムという一面をもっていた。

20世紀の社会は、このようなさまざまな努力を積み上げることによって、近代社会の建前に実態を伴わせようとしてきたのである。

だがそのような努力があったとしても、建前は所詮建前にすぎない。完全なかたちで実現することはないのである。

さらに1991年にソ連が崩壊し、「資本主義の勝利」が謳歌されるようになると、私たちの社会は建前を守ろうとする努力への熱意を失っていった。

再配分システムの強化よりも自分のものは自分で稼げといった風潮が高まり、すべてのことを市場で決めようとする市場原理主義が跋扈していく。企業や高所得者への減税などがすすめられ、社会保険、社会保障システムも劣化していくことになった。企業もまた安定雇用のために努力しなくなり、それは格差社会や非正規雇用の増大を生んでいく。

こうして生まれてきたのが、本音の時代だったといってもよい。

上からも下からも本音が噴出

近・現代社会は、建前と本音の衝突を内蔵させながら、建前を守ることによってつくられた社会なのである。

 

建前としては自由、平等、友愛があり、民主主義や人々の豊かさをめざす経済があった。だが本音としては、自己や自分の企業活動の自由であり、それぞれの最大利益の獲得だった。簡単に述べれば、自分が勝者になればそれでよいのである。

民主主義は多数派の横暴にすぎないし、自由は自分の自由のためのものだ。近代社会はそういう本音もまたもっている。

建前を大事にし、本音を隠す。それが近代社会の作法だったといってもよかった。

リベラリストたちは建前の実現に向かって努力しつづけることが人間の責務だという立場をとっていたし、ロシア革命の衝撃はこのリベラルな立場の社会化を求めた。

今日の世界を覆いはじめているものは、この建前の虚偽性の露見である。あるいは建前を近代の理念だとしてきたことの虚偽性の露見だといってもよい。

政治や経済も、建前よりも本音で動くようになってきた。政治家たちは自分の権力を維持するために動き、それはポピュリズム(大衆迎合主義)をもたらしていく。

あるいは今日の政治は、ポピュリズムというよりデマゴーグの政治といった方がいいのかもしれない。デマゴーグとは自分の権力を維持し高めるためには何でもする扇動政治家のことなのだが、日本でも小泉、安倍という扇動政治家の時代がつくられている。

経済もまた、本音の経済の時代である。格差社会やブラック企業が生みだされていくばかりでなく、労働組合もまた電力総連などが原発推進派の候補を応援するように、本音が前面に出てきている。

だが本音の社会ができていけば、建前としての「公正」は崩れていく。そしてそれは、「取り残された人々」や「没落していく人々」を救済しない社会をつくりあげることになる。

そうなれば人々のなかからも本音で動く人たちが前面に出てくる。こうして、「上からも」「下からも」本音の社会がつくられていく。

今回のアメリカ大統領選挙が示したのはこのことだった。