「人はわかりそうだけどわからないものに興味を惹かれるんです。世の中が求めている言葉を曲に乗せて届けることができるか――そこがカギなんです」
自伝的ノンフィクション『いきものがたり』を上梓した、いきものがかりのメインソングライター・水野良樹氏と、名曲の歌詞から哲学を紐解いていく『Jポップで考える哲学』を刊行した気鋭の若手哲学者・戸谷洋志氏による特別対談後編。(前編はこちらから)
数々の名曲を生み出してきた、いきものがかり・水野さんが明かすヒットの法則とはーー。
水野 Jポップというものが、否定的に捉えられることがあります。言葉のイメージとして、すごく商業的なものだという印象が付きすぎている。そこに政治的なものとか、哲学的な考えというのは反映されていないのではないか。何も社会に影響を与えない、単なる「商品」として捉えられることがあります。
戸谷 たしかに、ありがちな見方ですね。
水野 でも僕は、商業的なものだからこそできることがあると思う。皆さんが思っている欲望であったり衝動であったり、それこそ卒業式やイベントで生まれてくる感情とか、恋愛をしているんだけれど彼氏に気持ちを伝えたいけど言葉にならない、そういう気持ち。
それらを汲みとったり、寄り添ったり、もしくは気持ちに名前をつけることが「大衆歌」のやる仕事ではないでしょうか。
今の世の中の人の気持ちをいちばん反映して生まれてくるのがJポップなんだと思うんです。たとえば昔のブルース、ロックなど反体制のなかで生まれてきた音楽と、実は同じような構造をJポップも持っている。
Jポップが受容され、消費されていく動向を見ると、社会とすごくつながっていると思えるんです。僕は自分が孤独だと思っているから、社会と繋がりたいという欲求がある。
戸谷 だからこそ、水野さんはJポップにすごく惹かれているんですね。
水野 ええ。たとえば、僕がまったく会ったことのない方が、大切な人を亡くしたお葬式で、出棺の時に「YELL」を流したという話を聞きました。その方の気持ちって、個人の本当に深いところにあるものですよね。
その人だからこそ持つ思いであって、他人がどうこう言えるものではない。その人でしかわからないような、表現できないような、ありあわせの言葉では言えないような気持ちに、僕が書いた言葉がつながっていく――。
ともすれば商業的とか、ミーハーとか、いろんな言葉があるけれど、スポットライトがあたる場所に自分が行こうとする理由はそんな「つながり」が生まれると、考えているからなんです。
戸谷 水野さんがいう音楽への考えというのは、哲学者で言うとハイデガーに似ています。
水野 ハイデガーですか。すごいな(笑)。
戸谷 ハイデガーは『芸術作品の本質は存在を開くことだ』と言っています。どういうことかといえば、それまでモヤモヤと気づいてはいたんだけど、言葉にできなかったり形にできなかったものを、言葉や形にすることで本当の姿を露わにするのが芸術作品だと言うんです。
たとえば、森の中の小屋を描いた絵があるとします。私たちはその小屋に住んだことがないのに、なぜか懐かしいと思うことがあります。
水野 「ふるさと」を聴いた時と同じですね。うさぎを追ったことがないのに懐かしい。
戸谷 水野さんは、もちろん水野さんの人生に即して「YELL」を書いているんだけれど、これまで水野さんとは何の関係もなかった他者が、それを聴いて初めて自分の身に起こった出来事の意味がわかるようになる。初めて言葉や意味があたえられる。
もともと持っていた気持ちなんだけど、水野さんの詞がなければわからなかったものが、そこで初めて言葉になる。それがハイデガーのいう「存在を開く」ということなんです。
水野 それを僕ができているかはわからないんですが、名前を付けることのできない感情、まだ整理できていない感情とは、水のようなものだと思っているんです。
もしここに水だけがあれば流れてしまって、捉えようのないものですよね。だけど、コップに入れると、形として見える。芸術作品ってこのコップに近いと考えています。水はコップに注がれることで、形を目で捉えられるようになる。飲むこともできるし、人にかけることもできる。
言葉を編んでいくこと、歌の持っている可能性って、そのままではみんなが認識することができなかったり、うまく整理できなかったものを言い換えることなのかもしれません。
たとえば「上を向いて歩こう」。あの曲を聴くと、上を向いて歩くことがいつの間にか、前向きなことのように思える。そう書くことによって、人々の考え、行動のベクトルを変えてしまう。あたかも元から自分たちがそう思っていたかのように。芸術にはそんな力があるんですね。