42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで

大病後も人生は続く
鈴木 大介 プロフィール

尿漏れパッドついてるくせに

間違いない。あいつのせいである(おかげである)。あいつとは、我が妻である。

「ようやくあたしの気持ちがわかったか」

これは妻が入院中の僕に投げかけた言葉だ。高次脳になった僕が、感情のコントロールが効かず、うまく話すことができず、世の中の動きが速すぎて自分だけがスローモーションの世界に叩き込まれたような猛烈な苦しさに翻弄される中、「これって俺が取材してきた『困った人たち』を同じかも知れない」と一番最初に告げたのが、妻だった。そんな僕に妻の返した言葉が、これ。

妻は子ども時代には典型的なLD(学習障害)児で、かなり激しい注意欠陥もあり、適応面に色々と問題があって20代前半にはハードなリストカッターだったし、ここ10年来仕事に就いたこともない「困った人」だ。

そんな妻がこう言った。

「大ちゃん(僕)は病気になることで劣等生になった。わたしから言わせれば、あなたは子どものころから何でもやれちゃう優等生だったんだよ。で、それで病気で劣等生になったから辛いんでしょ。でもね、優等生だったときの自分に戻りたいと思うから辛いんだよ」

いやでも、そんな「やれなくなっちゃった」自分は嫌なんだもん。ていうか、少なくとも病前の「働ける俺」に戻らなきゃ、働かない君を養えないじゃないか!

情緒のコントロールができなかった僕は、呂律のまわらぬ口でかなり激しく妻に反論したと思う。だが妻の返事は、「分かるけど、何でそこまで頑張るの?」だった。

 

「何でそこまで優等生でいなくちゃいけないの? わたしなんかは30年以上劣等生でやってきた結果、優等生になりたいと思わないよ。優等生なあなたに養われてるけど、優等生なあなたが好きなわけじゃないし、むしろそういうとこあんま好きくない。色々やれなくなって辛いと思うけど、やれないことはわたしが手伝うよ。何でも1人でやろうと思うなよ。尿漏れパッドついてるくせに」

その時点ではなぜか排尿時にうまく尿を切ることができなかった僕は、妻にお願いして(看護師さんたちにバレないように)こっそりと尿漏れパッドをもってきてもらっていた。

そうなのだ。やれないできない苦しい苦しい。でもまだ俺は、所詮尿漏れ男なんだ。

病気になり、後遺障害を抱えて生きていくということは、以前とは違う自分になって生きていかなければならないということ。そして受容に立ちはだかるのは、病前の「やれた自分」というセルフイメージと、病後の「やれなくなった自分」とのギャップだ。

俺はもっとやれたはず。こんなに使えない人間じゃなかったはず。こんなに駄目な自分は自分じゃない。セルフイメージが高い者ほど、そのギャップを受容できずに苦しむことになる。

だがこれを子ども時代から困った人当事者であった妻に置き換えると、そもそも妻には「かつてのやれた自分」という病前のセルフイメージなんてものは存在しない。子どものころから「やればできるのにやらない」と責められ、やれない自分と折り合いをつけ、折り合いがつかない苦しさにリストカッターになり、それでも生き抜いてきた。

なんということか、こんなにも身近に受容の先輩がいたのだ。

「ねえ、何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて孤立だって言うでしょ? あなたの場合はいずれ回復するかもしれないんだから、やれないことはもっと周りに頼れよ」

できないことはしょうがない。逆にできることを緻密に真剣にやればいいし、できないことは人にやらせるという男前な女王様体質が、妻の受容のスタイルだ。周囲からすれば結構迷惑だが、生き抜く上で理にかなってはいる。