女子高生は「リベンジ・ポルノ」で二度殺された

ルポ・三鷹ストーカー殺人事件【前編】
石井 光太 プロフィール

ポルノ画像で恐喝

2012年の9月、池永は唐突に「留学する」と言い残してアメリカへ旅立つ。ロサンジェルスに親戚が住んでいて、そこから語学学校に通ったのだ。

アメリカ滞在中、池永はSさんの別れを惜しむ気持ちにつけ込み、裸の写真を何枚も送らせる一方で、彼女に冷たく当たった。

現地で知り合った女性と交際し、スカイプでSさんにそのことを話したり、パソコンを通して彼女に挨拶をさせたりしたのだ。たった3カ月で帰国したにもかかわらず「一時帰国」と偽ってSさんと会い、「別れよう」と切り出したこともあった。

この池永の言動は、幼児が母親の愛情を確かめるために悪戯をするのと同じ「愛情のためし行動」だったのだろう。Sさんの気持ちはそれらの行為によって冷めていく。2013年初頭、Sさんは告げる。

「私、気になる男性ができたの」

池永は激しく動揺し、Sさんを思い留まらせるために、ポルノ画像をつかって恐喝をはじめた。バラまかれたくなければ自分と会え、と。話し合えばやり直せると考えていたのである。

3月、Sさんはクッキーを持って大阪の池永のアパートを訪れた。だが、池永は彼女のよそよそしい態度に不安になり、映像を削除するふりだけして、Sさんに手錠をはめてレイプをする。

この一件後、Sさんは二度と会わないと池永に告げた。池永はフラれた怒りから、SNSを通してSさんの動向を調べ、新たな恋人ができたことを知って殺意を抱くようになる。

「彼女が別の男性と交際していることを知り、己の状況がすこぶる悪いことに気がつきました。体重は10キロほど落ち、アトピーもひどくなりました。ここから抜け出すには、殺すしかないと思うに至ったのであります」

Sさんはその後も池永から脅しを受けつづけたことで、6月には両親に相談。両親は電話で池永に近づかぬよう告げた上で、警察に通報。登下校も同行するなどしていた。

しかし池永の殺意は時を経ても消えることがなかった。

9月28日午前6時、池永は友人とともに長距離バスで上京する。その後、ペティナイフを購入。井の頭公園などで野宿をしながら三鷹にある彼女の自宅へ通い、殺害の機会をうかがった。ポルノ画像67点(後に児童ポルノと認定されたのは13点)をアダルト投稿サイトにアップロードしたのは、その間の10月2日のことだ。

Sさんの父親は、娘のポルノ画像が流出されたのを知った時、女優の夢が絶たれたばかりか、もう娘は日本で普通に暮らすことはできない、と思ったという。Sさんはそんな父親を心配させまいとしたのか、こう言った。

「もうこれ以上のことはしないだろうから、せいせいした」

 

完全に削除するのは不可能

だが、6日後、最悪の事態が起こる。

その日、池永は三鷹にある自宅に忍び込み、洋服ダンスに身を潜める。そして何も知らずに学校から帰宅したSさんに襲いかかり、ペティナイフで首や背中など11カ所を刺して殺害。さらにそのSさんの姿を携帯電話で撮影し逃亡したのである。

近くの路上で逮捕されたのは1時間後のことだった。

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事件後、池永はSさんを殺害した理由を次のように語っている。

「被害者は、私の苦痛源でありました。殺せば(苦痛が)絶ち切れると思いました。(Sさんが別の男性と付き合っているというのが)身を焦がれるような思いでありましたので、殺害という行為に及びました。しかし、率直に申し上げますれば、虚しいだけでした。拘留されて考える時間を与えられてから虚しいだけでした」

あまりに身勝手な言動である。彼の異常な思考や言葉づかいについては次回述べることにして、法廷で彼が述べる言葉は理解しがたいことばかりである。

自分がいかにSさんを愛していたかを声高に語りつづけ、遺族への罪の意識を問われても、共感はないし、被害者に対して悪いという気持ちはまだない、と言い放つのだ。しかも、検察の取り調べでは次のように述べている。

「もし時間を取りもどすことができても、被害者を殺すと思います」