もし「人生の一冊」を選ぶとしたら、僕はカフカの『変身』を選びます。
主人公のグレゴール・ザムザがある日突然虫になる。あまりに有名な作品ですが、本書を読んだ中学2年生の僕は、「今の自分が抱えているものと同じだ」と思ったんです。
小さな頃から、世の中に期待をしていないんですよね。父の仕事の影響で転校が多かったこともあり、いじめを受けていました。次の学校では明るく振る舞おうと思うんですけれど、染み付いた考え方は変えられなくて、卑屈は卑屈のまま。またいじめにあう。こんな不条理な日々がずっと続くんだと思っていました。
時代の背景もあると思います。バブルが弾けて経済不振が続き、政治にも期待できない。宗教に頼ろうにも、オウム真理教が様々な事件を起こし、坂本弁護士事件でメディアの信用も地に落ちた。
社会とは絶対に不条理なものだと「信頼」しているんです。だからこそ表層ではない社会の奥底を見てみたい、こんな考え方の自分だからこそ、せめて社会に貢献する仕事をしたいと意識するようになったんです。
『変身』では淡々と嫌なことが起こります。ヒーローも、巨大な悪もいない。主人公の外形は虫に変わっても、中身は何も変わらなくて、変わるのは結局他人がどう思うかという評価だけ。それは自分が思っている通りの社会であり、自分の抱える日常でした。
ヒーローが世界を救ったり、巨悪を倒せば世の中が良くなる社会なんてありえないんですよね。物事は単純に善悪に分けられない。問題はより社会の複雑な事情、奥底を見ないと見えてこないと思うんです。
先日も沖縄の高江を取材しましたが、基地反対派対機動隊員という構図ばかりがクローズアップされますけれど、現地の住民には「基地は問題だけど、運動を維持するための運動には与したくない」という考えを持っている人もいる。そういう人が生きている日常に目を向けなければと考えて今も活動しています。
理想を求めるよりも、まずアクションを起こすという自分の信念の根幹にある詩が『雨ニモマケズ』です。
読んだのは小学生のとき。あまりに思い入れが強くて宮沢賢治記念館を訪ねたのを思い出します。世の中に期待できないと考えていた自分に、暑くても寒くても、辛いことがあっても愚直に進むだけ、奇をてらう必要はないと教えてくれたのが宮沢賢治。今も心の励みにしています。
高校生の時に読んだ『死者の奢り』は、死体処理という、社会が見えないようにしている世界に目を向けた重苦しい小説です。死んでもなお、死者はメッセージを送っている―そんな小説を読んで、自分が生きているこの終わりなき日常は、死んでも終わりを迎えられないのかと暗澹たる気持ちになりました。
10代の頃の自分は社会に浮遊している感覚が強くて、『死者の奢り』のホルマリン漬けにされた死体や、『変身』で虫となった体の白い斑点に鈍痛が走るシーンなど、身体性のある描写に惹かれていたのだと思います。
『日本の思想』は浪人時代に読んだ一冊です。この本では、大衆社会と論理的な統治の間には大きな溝があり、それが溶けあうように制度設計をしてきたのが近代以降だと書かれています。
トランプ大統領を選んだアメリカの民主主義をどう考えればよいか。日本の政治はどこへ向かうのか。今それが試されていると思うんです。初めて読んだときは、難解な本に挑む自分が美しいという自意識が先行してた(笑)。改めて本書を読んで考えてみたいですね。
20代の頃の自分は、社会への不信もあって個人主義の考え方でした。『蜘蛛の糸』を読んでも、'00年代に流行った自己責任論のように、糸に群がる地獄の群衆をただ愚かだと嫌悪していました。ですが、たまたまNHKに入局することができ、貧困などの社会問題を取材して一つ一つの命の複雑な事情を生で知る機会を得ました。
トランプ現象や世界を覆うレイシズムの問題から考えてしまうのは、社会には多様な側面があるにもかかわらず、一面だけを捉えた人々が熱狂して「空気」を作り、さらに多くの人がそれに流されてしまうことの怖さです。森達也さんの『A』は、大衆がオウムに感じていたものに違う視点を与えてくれた本です。
もちろん、「世の中の空気」と違う視点を持つことがいつも正しいわけではありません。しかし、メディアにいる人間は多様な意見を汲み取る義務がある。常に自分にそう言い聞かせています。
(構成/伊藤達也)
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