原発推進勢力が画策する、原発訴訟「完全封じ込め」のウルトラC!?

元裁判官が明かす悲観的な未来
瀬木 比呂志 プロフィール

司法の責任

瀬木 福島第一原発事故については、巨大津波襲来の可能性を示唆するシミュレーションも出ていたことを含め、決して「想定外」などとはいえない。

大体、原発事故について、「想定外」などということを抗弁として持ち出すこと自体が問題です。なぜなら、それまでは、「絶対安全だ」と公言していたのですから。

また、原発事故は、ほかの事故とは違って、格納容器が決定的に損傷したら、きわめて広い地域が汚染されて、多数の人が被曝し、家を追われるような事態ともなるわけですから。

そして、日本の原発の危険性、脆弱性を事故前に指摘していたのは、在野の専門家、非専門家、あるいは、海外の関係機関でした。

くどいようですが、あんなひどい事故があり、数多くの人々が被災し、広汎な地域に今なお人が立ち入れないような状況が続いているにもかかわらず、また、事故処理も遅々として進んでいないにもかかわらず、反省も検証も十分に行われないまま、なし崩しに再稼働の方向に進んでいるというのが、日本の現状だと思います。

事故原因の厳密な確定がなされたか否かについてすら疑問なのです。また、たとえば、そういう状況で、運転期間が40年間を超えた古い原発の運転延長を安易に認めてよいのかも、きわめて疑問です。

そして、こうした事柄に関する司法の責任はきわめて重いのです。

本来なら、裁判官たちが安んじて十分な審理を行えるよう環境を整えるべき最高裁が、電力会社や行政、政治の問題の多いやり方にお墨付きを与えるだけのような審理、裁判を行うよう、その意を汲む形で裁判官をコントロールするのは、本当につつしむべき行為です。

そんな中、再稼働が許された原発について、2つの差止め仮処分が出たわけです。仮処分という形で即座に原発を止めるという判断を2人の裁判長、6人の裁判官がしたことの重みは、誰もが謙虚に受け止めるべきだと思います。足下をすくうような議論ばかりするのではなく、事柄の本質とその大筋をみるべきです。

日本の原発をめぐるこうした状況については、僕の知る限り、原発を始めた国であるアメリカの人々についても、自由主義者のみならず、保守派でさえ危惧を抱いているということも、付け加えておきます。

「日本人は、すぐに許し、忘れてしまうんだね、しまうのね」という感想は、ヨーロッパ人のみならず、アメリカ人からもよく聞きます。これも事実です。

実際、たとえばアメリカやヨーロッパ先進諸国のどこかで、ああした問題の大きな事故が起こったら、原発再稼働は、容易なことではできなくなると思います。安易にそれを唱えるような電力会社、政治家、官僚、専門家は、市民やメディアから、大変な批判、非難を受けることでしょう。

 

2つのシナリオ

――本当にそう思います。そのことを踏まえると非常に気がかりなのは、さっきの専門裁判所のお話です。

瀬木 原発訴訟を専門に扱う裁判所ないしはセクションができた場合、担当裁判所は、たとえば東京、大阪だけ、多くても高裁所在地くらいになるし、担当する裁判官のポストはわずかに限定されますから、最高裁の人事によるコントロールは、格段にやりやすくなります。ピンポイントで、そこの裁判官に、「間違いのない人」さえ置けばよいのですから。

さらにいえば、これまでに、行政官をも含めた法律家の世界でちらほら出ていた議論から推測すると、原発訴訟については、民事訴訟の形式はだめ、行政訴訟でしか争えないという形にするといった方向も、考えられますね。

詳しくは、今回の小説『黒い巨塔』を、また、『ニッポンの裁判』等もお読みいただきたいのですが、日本の行政訴訟では、行政裁量が非常に広く認められるため、原発訴訟についても、行政訴訟では、原発の設置を認めた行政庁の主張に沿った判決になる可能性が、きわめて高くなります。

過去に原発稼働差止めが出ているのは、「もんじゅ」の例を除きすべて民事訴訟だということからも、それがわかると思います。

したがって、かりに原発訴訟を専門に扱う裁判所やそのセクションの設置は免れたとしても、原発訴訟が行政訴訟としてしか争えなくなったら、それだけで原発訴訟は事実上息の根を止められる可能性が高い。そういうことです。

訴訟形式を行政訴訟に絞るという方法は、特別な裁判所の設置とは異なり、非専門家にはその意味がわかりにくく、世論やマスコミから批判を浴びにくいですからね。

「原発訴訟は、結局、原発の設置を認めた行政庁の判断の是非が論点となるのだから、行政訴訟という形式に統一するのが合理的」などという説明がされると、コロリとだまされてそのままの報道をしてしまうメディアも多いのではないかという気がします。

従来からの議論を踏まえると、以上のような2つの方向性がありうるわけです。2つが両方出てくる可能性もあるでしょう。しかし、専門裁判所の設置よりもハードルが低い第2の方向だけでも、原発訴訟は事実上息の根を止められる可能性がきわめて高いのです。