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なぜマルクスは宗教を「民衆のアヘン」と批判したか

21世紀の今も色褪せぬ思想の本質
佐藤 優 プロフィール

マルクスは、

〈幻想のなかで民衆の幸福をあたえる宗教を廃棄することは、現実のうちに民衆の幸福を要求することである。自分の状態についての幻想をすてろと要求することは、幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。だから宗教の批判は、いずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずにはいられないものである〉

と指摘する。

宗教は幻影に過ぎないのだから、この幻影を作り出している社会を批判しなくてはならないとマルクスは考えている。

マルクスは、プロテスタンティズムがカトリックの神から人間に力点をシフトしたと考える。プロテスタンティズムの創設者の一人であるマルティン・ルターは、聖書をドイツ語に翻訳し、すべての信徒が神父(僧侶)と同様の知識を持つならば神父はいらなくなると考えた。従って、プロテスタントには聖職者という概念はない。牧師は聖なる人ではなく、一般信者と同じ人間だ。

マルクスは、

〈ルターはたしかに帰依からの屈従を克服したが、それは確信からの屈従をかわりにもってきたからであった。かれは権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を挽回したからであった。彼は僧侶を俗人らしくしたが、それは俗人を僧侶らしくしたからであった。彼は外形的な宗教心から人間を解放したが、それは宗教心を人間に内在的にしたからであった。彼はからだを鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった。

けれども、プロテスタンティズムは課題の真の解決ではなかったにしても、課題の真の提出であった〉

と指摘する。

キリスト教から神秘的要素を除去しようとするプロテスタンティズムによって近代社会が抱える問題が提示されたと考える。

そして、

〈ただ一つ実際上可能なドイツの解放は、人間が人間の最高存在であると言明するような理論の立場にたってする解放である。(中略)この解放の頭脳は哲学であり、この解放の心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアートを止揚することなしには現実化されえず、プロレタリアートは哲学を現実化することなしには止揚されえない〉

とマルクスは結論づける。

プロレタリアート(賃金労働者)に対するマルクスの思い入れにはついていけないが、宗教や擬似宗教で物事を真剣に考えるのを停止してしまうリスクを指摘した点で、21世紀の今日もこの論文の価値は減じていない。

週刊現代』2016年11月26日号より