大橋巨泉さんの妻がはじめて語る「夫婦の愛」

死へ向かう日々にわかったこと
大橋寿々子

「ボクを取るか子供を取るか」

'13年に中咽頭がんが見つかった時はすでに「ステージⅣ」でした。でも担当の先生が「大丈夫、治りますよ」と言ってくださったんです。それがすごく嬉しくて、それで本人も「よし、がんと闘ってやるぞ」と前向きになることができた。

もしあのとき、弱気なことを言われていたら、治療をしなかったかもしれません。それくらい医者の先生の言葉ってすごく影響力があるんですよね。

 

その一方で、今年4月に退院した後やって来た在宅治療医の言葉は、信じがたいものでした。いきなり「大橋さん、どこで死にたいですか? どうやって死にたいですか?」と言ったのです。

主人はまだ生きるつもりだったし、体力が回復したらカナダにも行く予定だったのですが、その言葉で一気に気力も衰えてしまった。

さらにオプソなどのモルヒネ系の痛み止めが大量に送られてきました。本人は過去にオプソの副作用で、フラフラになったことがあったので、嫌がっていたのですが、在宅医から「今は痛みを取るのが第一です」とすすめられて……。

ところがその薬を飲み始めて、たった5日間しか経たないうちに、一気に衰弱してしまったのです。それまでは自分でトイレにも行けたのに、意識も朦朧として歩けなくなり、そのまま緊急入院となってしまった。

今年の4月にがんセンターから退院し、自宅に戻った時点では、CTで見えるがんはなかったんです。落ちた体力を回復させるために在宅医療にしたのに、それがまさかこんなことになるなんて、想像もしていなかった。

最期は眠るようにして亡くなりましたが、モルヒネ系鎮痛剤の成分は最期まで抜けきっていなかったようです。

主人としては「死ぬ覚悟」はもちろんしていました。でも、最後の在宅治療だけは、悔やんでも悔やみきれません。

後々分かったことですが、この在宅医は元々皮膚科が専門だったそうです。医師免許さえあれば、誰でも在宅医の看板を掲げることができる。これはやはり問題だと思うんです。結果として、主人は最期に、終末期医療について大きな「波紋」を世間に投げかけたことになります。彼らしいといえば彼らしいですね。

私たちが結婚したのは、'69年のこと。主人が35歳で私は21歳でした。以来、47年間片時も離れることはありませんでした。

主人にとっては再婚。前妻との間には2人の娘もいますが、非常に良好な関係です。娘や孫たちは闘病中に何度もお見舞いに来てくれましたし、「お別れの会」では、主人が大好きだったジャズを熱唱し、会を盛り上げてくれました(2人の娘はジャズシンガー)。

主人とは結婚直後に「ある約束」を交わしました。

「ボクを取るか、子供を取るか決めてくれ」と主人から言われたんです。

「子供ができたら、寿々子は子育てをしなければならない。でもボクは海外に行くことも多くなるから、どうしても離れる時間ができてしまう。それでも子供が欲しい?それとも子供は作らずにボクと一緒に過ごすか、お前はどうしたい?」と。

難しい選択でしたが、結局、「子供は作らない」という選択をしました。すると主人はすぐに「パイプカット」してしまったのです。そして「約束通り、ずっと一緒にいようね」と言ってくれました。

それこそ『11PM』のロケで海外に行くときも、全部一緒に連れて行ってくれました。
私が付いていると主人は大人しくするところがありまして、スタッフの方たちも、直接本人に言いにくいことがあると、私に

「スーちゃんから、巨泉さんに頼んでくれないかな」とこっそり言ってくるんです(笑)。マネジャーのようなこともやっていましたね。