バブルもびっくり!? 戦前昭和クリスマスの狂乱っぷりがスゴかった

軍靴の音もどこ吹く風…
堀井 憲一郎 プロフィール

朝日新聞の「同情週間」

朝日新聞社主催でこの当時は「同情週間」というキャンペーンがあった。気の毒な生活の人たちに同情してなにか施しをしようというイベントである。

いまだととても考えられない上からの発言「同情」であるが、そこは当時の世相なのか、その名前で続けられている。そのイベントは12月に行われていたため、途中から、クリスマスイベント絡みとなっていく。つまり、恵まれない子供たちに同情して、彼らにプレゼントを贈る、という動きになっていくのだ。

あらためて自分の言葉にして書いていると、やはり「同情」という言葉を選んだのは朝日新聞のセンスなんだろうとおもう。書き写していて、いい気持ちにはなれない。

1929年(昭和4年)のクリスマス記事は比較的におとなしい。おそらく経済的に不調だったからだろう。ただ、その不調がずっと続くわけではない。

1929年のクリスマスではパリ在住の世界的な画家藤田嗣治がフランス人妻を連れて日本に帰ってきており、その若妻に高島田に着物を着せてパーティを開いている写真が載っている。かなり目立つ写真である。

彼女は「身の丈五尺四寸、足袋は十文半、駒下駄も特別あつらえ、それが裾模様の着物を来てすっくと金屏風の前に立った姿は、舞台の女形のごとくにあでやか」と紹介されている。

女形のようだってのを、女性に向かって言って、褒め言葉になっているともおもえず、すげえ大きな外国女だなあ、という気分だけで書いているようで、当時の新聞の大束な気分がよく伝わって来る。

エログロとカフェーとダンスホール

1930年代に入り、日本のクリスマスはより狂奔しはじめる。

まず何より1930年(昭和5年)の紙面に出ている広告が、やたらとエロティックなのである。いまだとNGだとおもわれる女性の胸部がまるまる出ている広告まである。1930年の新聞広告にはおっぱいの露出した写真が載っている。

新聞を見てるだけで「エログロ」という文字がやたらと飛び込んでくる。

「ウルトラ・エログロ」「世界性愛奇談全集」「猫も杓子もエロだグロだと喚く」「ニューヨークの壁画 これがエロとグロの基本図か」

わかりやすい流行語である。

 

少しあと、1933年には変態の記事もあった。「男同士の三夫婦 夫のために万引き 変態の六青年御用」という記事である。ふしぎと退廃的で倦怠感が漂っている。新聞記事を通して、当時のそういう世相の空気が感じられる。

エログロが流行り、街ではカフェーが大流行した。

当時の大人が、若者に流行るカフェーをうさんくさく論じていたのであろう。

前年の1929年であるが12月17日に「カフェー礼賛」という文章が寄せられていた。横山桐郎。おそらく当時35歳の昆虫学者だとおもわれる。(同名の別人であるかどうか、ちょっと確認できていない)。カフェーは若者にとって(35歳は若者とはいえないのだが)、とても居心地の飯場所であって、あたら非難の対象となるようないかがわしい場所ではない、との弁護である。

女給がいる、若い娘が給仕をしてくれるだけで、胡散臭くみられる、という文化が、我が国にはしっかりとあった。(旅先の宿で、給仕をしてくれる女性は、同時に夜伽を頼むことができる、というのが常態であったから)

カフェーは、珈琲やビール、洋食などを摂る店であり、バーとよく並び称されており、カフェー、バーという言葉が新聞によく出ている。女性が接待に出るが、むかしながらの待合やら茶屋などと違って、洋風である、というところに意味があった。

その洋風の女性接待付飲食店が、1920年代から爆発的な人気となり、1930年代にはその退廃的風潮とあいまって、より注目されるような店となった。

この、カフェーと、もうひとつ、ダンスホールを中心として「大人のための遊興クリスマス」が盛んになってくる。

カフェーにしても、ダンスホールにしても、それまでの日本に根強く息づいていた純日本的風俗(待合や料亭や、妓楼での遊女や芸者などと遊ぶこと)に対して、よりモダーンな感じがしたところが受けたのである。性風俗でも、西洋風が好まれた。そこにクリスマスは簡単に融合した、ということである。

クリスマスはある意味、西洋的である、というサインでしかない。誰もさほど大事にしていないので、便利使いされている軽いメルクマールという感じである。