昭和初め、過熱するクリスマス騒ぎを柳田國男はこう見ていた

【連載】クリスマスと日本人(15)
堀井 憲一郎 プロフィール

時代の「気分」

1927年(昭和2年)、大正天皇崩御の翌年のご命日、さすがにクリスマス騒ぎの記事はない。

あったとしても新聞としても載せにくい、という空気だっただろう。

ただ12月12日には今年のクリスマスプレゼント品の紹介記事がある。「賑やかに飾られた クリスマスの贈答品調べ」というもので、クリスマスカードの値段から(20銭から70銭)、クリスマスツリーに飾る小物、チョコレート(美麗な箱に入ったもので3円から30円)、人形などの紹介をしている。

末尾の文章が「ドイツ製びろうどの動物は(…)少し大きいのは四、五十円もするのでプロレタリヤは一寸手が出ない」で結ばれている。五十円の人形は庶民には手が出ないのはたしかだろうが、プロレタリヤ、という言葉が出て来るのが、昭和2年らしいところである。

この年は、この記事だけである。

ただ広告はすこし盛んである。百貨店の松屋が「Xマスセール」の広告を出し、三越も出している。明治屋と亀屋もある。

あと、目立つのは映画広告だ。浅草の映画館が「クリスマスの贈物 お歳忘れ命の洗濯」として『決闘商売』『チョビ髯ライオン張り』『与太奮戦記』の映画が紹介されている。アメリカ映画である。無声映画で、弁士がついている時代だ。ただ、しきりと映画が輸入され、クリスマスに映画を観ようという習慣は、この昭和初年の浮かれた時代に始まったようである。アメリカでは有声映画(トーキー)の製作が始まり、この映画熱は広まっていく。

昭和初年の浮かれた文化は、1920年代のアメリカの浮かれた文化とあきらかに連動している。1910年代の欧州大戦の戦場にならなかった大国としてアメリカと日本は、ふしぎな繁栄を同時に謳歌していたのだ。

昭和前半の歴史というのは、知識としては知っている。

ただ、毎年の新聞を丁寧に読んでいくと、その知識とはまったく違う気分で覆われたわれわれの社会が目の前にあらわれてくる。

昭和20年に壊滅的な敗戦を迎えることを前提に歴史的な立場から見るのと、そんなことをまったく知らずに歴史を生きるのとでは、世界の風景がまったくちがって見える、ということである。

わたしは、そんなことをまったく知らずに歴史を生きている人たちの感情のみに興味がある。それはまたいま現在の自分でもあるからだ。

次に見ていくように、昭和のクリスマスは満州事変が勃発したころに狂乱の度合いを高めていく。

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