昭和初め、過熱するクリスマス騒ぎを柳田國男はこう見ていた

【連載】クリスマスと日本人(15)
堀井 憲一郎 プロフィール

「御もっともなる上杉博士の御意見ではあるが、クリスマスは単に西洋かぶれの名前であつて、こんな冬の夜の遊びが、新たに流行して来たものと自分などは解している。

はじめから祭りというほどの儀式でもなく、西洋でも本来ヤソ教とは無関係のものであり、東洋でも冬至の夜は古くからこれに類する行事が往々あつたからである。

本年に限り御遠慮申あげることは賛成である。但し学校その他で、既に見合わせにしている者が随分あるといふこともつけ加へておきたい。(柳田國男)」

柳田國男(1875-1962)

名だたる民俗学者であった柳田國男は、明治末年から流行しはじめたこの〝12月25日前後のお祭り騒ぎ〟をクリスマスと呼ぶべきものではない、と断じている。

あれは近年はやりだしてきた〝冬の遊び〟にすぎない、お祭りなどではない、そもそもクリスマス自体が西洋でもキリスト教とは関係のないものであって、単なる〝冬至の行事〟である、というのが柳田國男の見解である。

柳田國男が、クリスマス(日本人の12月25日の騒ぎ)は宗教的祭祀ではないと断じているのだから、日本で学術的クリスマス研究が生まれないのはしかたのないことなのだろう。これは民俗学は相手にしない宣言である。やはり社会学方面からのアプローチしかないようだ。

 

クリスマス騒ぎを正当化する「言い訳」

この君権派憲法学者と、民俗学者のやりとりの内容はとても興味深いものなのだが(ただ投書に対する回答扱いなので、さほど大きく取り扱われていない、最初、ふつうの市民の投書かとおもったくらいである)、このやりとりの主眼は「昭和2年の12月25日の扱い」にある。

1927年12月25日は、先帝の一周忌であるので、たとえ子供のための会であっても自粛すべきである、と二人の識者の意見は一致している。

一周忌だけはクリスマスを控えよう、という空気が醸成されていたのだろう。

柳田國男は「本年に限り御遠慮申し上げる」と一年限りを強調している。

上杉博士も「今年だけは少なくとも」と断っているので、一周忌を大事にして欲しいという提案ではある。が、おそらく上杉博士の本心は、大正天皇祭であるかぎりは、毎年、少しは謹んでもらいたい、と考えていたのではないだろうか。

柳田國男は、べつだん宗教行事でも祭りでも何でもない、ただ近年流行している社会的な気分でしかない、つまり大人が対処すべき問題ではない、という立場に見える。それは、クリスマスなどほんとにどうでもいい些事である、という知識界の気分を代表しているともおもう。

この二人の立場は、上杉博士は統治者側(しかもこのあとより力を大きくしていく天皇絶対主義系統)の思想であり、柳田國男は知識人としての意見と見ていいだろう。

クリスマスで騒ぐ気分とはまったく対極に、統治者側と知識人階層にこういう心持ちがあった。そこが、昭和のクリスマス気分に不思議な要素を付加していく。クリスマスで騒ぐことは、本当はやってはいけないことではないか、という背徳感をどこかで抱かざるを得ない。

クリスマス祝賀に、何かしらの言い訳が必要になる。誰にどう言い訳するわけではないが、心のバランスのため、何か理由があったほうが落ち着く。

罪のない子供が喜ぶから、というのがひとつ、キリスト教に共感しているから、というのがもうひとつ。そしておそらくもっとも多い理由は「みんなやっているから」だっただろう。

背徳感に対する言い訳にはなっていない。そのぶん、大人のクリスマス騒ぎが乱痴気になって、狂騒ぶりが加速していく。