泉田裕彦・前新潟県知事が明かす「不出馬の真相」

ついに重い口を開いた
河野 正一郎 プロフィール

原発とともにあった12年間

「出馬辞退の9割を占める」という、県の第3セクター事業をめぐる新潟日報の報道については後述するとして、まずは泉田氏の当時の立場を整理しておきたい。

新潟県には東京電力の柏崎刈羽原発がある。1~7号機合わせた出力(約821万キロワット)は世界最大規模だ。泉田氏が知事に初当選して4年目の2007年、中越沖地震が起きて2、3、4、7号機が停止した。このとき原発内で火災が起きたが、原発内部にある緊急対策室と県庁を結ぶホットラインは通話できなかった。緊急対策室の扉が地震で開かなくなったためだ。

07年の新潟中越沖地震では、柏崎刈羽原発周辺の道路にも亀裂が走った【PHOTO】gettyimages

泉田氏はこう語る。

「肝心なときにホットラインが使えないなんて困る、と東電に対応を求めた。その結果、強い地震に耐えられる免震重要棟が柏崎刈羽原発にできました」

――免震重要棟が建てられたのは、柏崎刈羽原発だけだったのですか。

「最初はそうです。同じ東電の施設なのに福島には建てられず、新潟だけに(免震重要棟が)建てられた。これはおかしい、という話になって、福島原発にも免震重要棟が完成しました。東日本大震災が起こる8ヵ月前のことです」

――もし福島第一原発に免震重要棟がなかったら……。

「いま東京に人が住めていたか、怪しいと思います」

 

発電の燃料コストを少しでも抑えたい東電は、東日本大震災から2年半後の2013年9月、6、7号機について安全審査を申請、来年初めには合格するとの見方もあった。しかし安全審査に合格しても、即座に再稼働にゴーサインが出るわけではないし、地元自治体の理解なしに再稼働は認められないのが通例だ。

新潟県知事だった泉田氏は、東電に対し「福島第一原発事故の検証と総括がないまま再稼働の話はできない」と再稼働について高いハードルを設定してきた。そのため首都圏の電力を支える柏崎刈羽原発を再稼働させたい政府、東電、原発メーカーら「原子力ムラ」からすれば、泉田氏は「天敵」とも言える存在だった。

泉田氏と東電の「対立」は、最後まで解消されなかった【PHOTO】gettyimages

東電関係者によると、泉田氏が知事選出馬の辞退を表明した8月30日の夕方、東京・内幸町にある東電本社には、出馬辞退を報じる新潟日報夕刊のコピーがファクスで届くと、社内で驚きの声が上がったという。翌31日、東電ホールディングス株は一時前日比12%値上がりした。

泉田氏が出馬辞退を決めた「残り1割の理由」とは、この原発再稼働をめぐるものなのだろうか。

あるとき、取材を続ける私に泉田氏の周辺者がこう話しかけてきた。

「最近になって、泉田さんの周辺を国税が調査していたらしいんです」