能年玲奈「干されて改名」の全真相 〜国民的アイドルはなぜ消えた?

「ザ芸能界 TVが映さない真実」第4回
田崎 健太 プロフィール

所属事務所は「東京の親」

15歳で地方から上京し、芸能活動に注力することは、人生における他の選択肢を失うということでもある。

「中には教育熱心な家庭の子もいます。『このまま行けば、地元の立派な県立高校に行ける』と先生から言われた。どこまで本気なんですか、という気持ちが親御さんにもある。じゃあ、複数年契約で長期的に面倒を見ます、うちに預けてください、という話をしなければならない。

寮として、わざわざ高級マンションの高い家賃を払っているのは、親御さんに安心してもらうためです。『見に来てください』と部屋を案内して、寮母さんも紹介する。ここでみんなで切磋琢磨してください。すぐ芽は出ないかもしれませんが、早く一人暮らしをしたいとか、そういう思いも原動力にしてください、と」

能年は比較的、集団生活が苦手だった。しかし、そういう子だからこそ、芸能界に向いていると判断したのだという。

「当社の本間(憲・社長)の考えはこうです。この世界は少し変わったくらいの子のほうが売れる。なぜなら、人と違うからこそみんなが興味を示してくれる。お行儀がいいだけの子なんて面白みに欠ける。そういう子は普通の人生を歩んだほうがいい。芸能界というのはそうじゃない人の受け入れ先なんだから、と」

もっとも、本間も能年の才能に確信があったわけではない。ただ「この子は化けたら凄いことになる。気をつけて育てよう」と担当マネージャーと話していたという。

「ティーンエージャーから契約するというのは、我々が東京の親になるということ。つまり、躾や生活面の指導も親に代わって日常的にしていかなければならない。親も、いつも褒めるだけでは駄目ですよね。

能年のように寮のルールを守らず部屋を汚したり、きちんと期日を守って精算ができない子には、厳しく、時にはあえて突き放さなければならないこともある」

能年はどちらかというと、成長の遅い部類に入った。高校2年生、'10年5月で『nicola』のモデルを卒業した後、しばらくくすぶっていた。

 

そんな中、レプロは能年と'11年6月、3年契約を結び直している。

女優は、プロのアスリート、あるいは芸術家などと同じく、常人にはない才能を評価される「個人事業主」である。ただ、彼らと比べると、世間に認められるまでの助走期間に、他人の助けがあるかないかが成功を左右する要因となる。平たく言えば、「事務所の力」が大きな意味を持つ。

能年の顔が一般的に知られるようになったのは、'12年3月、『カルピスウォーター』の第11代CMキャラクターに起用されてからだ。

「うちの事務所には、長谷川京子、新垣結衣、川島海荷などで、長年信頼関係を作ってきた(広告の)クライアントがいます。能年の場合も、社長の本間が『どうしても彼女を売るぞ』と、代理店に頭を下げて使ってもらった。こちらから頼んで使ってもらっているので、CM契約料は他と比べると安かったです」

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能年の弁護士が初めて語る

そして'12年4月、能年は『あまちゃん』のオーディションで1953人の中から主演に選ばれた。彼女はこのドラマで、誰もが知る女優となった。

レプロ担当者によると、『あまちゃん』の放送中、能年の「給料」は20万円に増額。加えて計200万円以上のボーナスが支払われた。翌年にも、実績を考慮して計1000万円以上の報酬を支給したという。

「寮での食費やレッスン代というのは、まとめて払っているので、能年1人に幾ら掛かったかははっきりとしません。ただ、彼女に対する投資として、スタッフの人件費、時間と労力、領収書が残っているような数値化できるものを含め数千万円は下らない。そこに、ようやく『あまちゃん』で人気が出た。7~8年かけて投資したものをこれから回収するぞ、と意気込んでいました」

ところが――。

'14年1月、映画『ホットロード』の撮影が終わると、能年は担当マネージャーに「事務所を辞めたい」と言い出した。能年とレプロとの3年契約はこの年の6月に終了することになっていた。