犯罪を描くということ〜事件の「深奥」に迫る二つのアプローチ

『犯罪小説集』刊行記念特別対談
吉田 修一, 清水 潔 プロフィール

清水 僕は吉田さんの『悪人』が好きなんですが、どこにでもいそうなあんちゃんが、峠まで女性を追いかけていって話をしていくうちに状況が悪化して殺してしまう。ああいうのがリアルだと思うんです。

でもあれを新聞原稿にしても全然意味が分からない。「追いかけていってもみ合いになって、思わず首を絞めてしまった」という原稿になってしまう。でも吉田さんが書く経緯のほうが説得力がありますね。

吉田 僕は明確な動機が書けないんです。でもそれでいいと思っています。簡単に書けるものではないと思うので。

清水 警察や裁判所の物言いだと「あらかじめ計画し、殺害する意図をもって首を絞めた」となるけれど、本当は動機なんて分からないことが多いですからね。

吉田 でも清水さんも、その時の犯人の行動や心理についても考えながら取材するわけですよね。

清水 たとえば現場では、犯人はあそこから歩いてきて、どこへ行ったのか、考えられる限りの可能性を考えます。それで何かが見えてくる場合もあるし、見えてこないことでまた発見があったりします。

吉田 あ、今の話を聞いて分かりました。僕が「現場から逃げたい」と思ったのは、たぶん、僕が犯人側にいるからです。ここにいたら捕まると無意識に思っているんですよ(笑)。清水さんのように追う立場じゃなくて、追われる立場でいたいんですね。

清水 だから、追われる側の心理があんなに書けるんですね。

 

なぜ犯罪を書くのか

吉田 清水さんは事実しか書かないわけですよね。

清水 そうです。むしろ面倒くさい説明も端折りたいけれど、端折れない。でも、ここは淡々と書いてここは高める、といった読みやすさは考えます。

それと、日常から書き始めるようにしていますね。『桶川ストーカー殺人事件』を書いた時も、家で起きてハムスターの世話をしようとしたら電話がかかってきて「女性が殺害されたから、すぐに現場に行ってもらえますか」「えー!」というところから始めています。

吉田 ああ、読者と同じ立場にいる状態のところから書き始めるほうが、読み手も入り込みやすいでしょうね。

——それぞれジャンルは違うとはいえ、お二人が犯罪について書かれる動機は何でしょうか。

吉田 何かがそこにある気がして。この前、ある事件の犯人の裁判の傍聴に行ったんです。そうしたら、被告人が入ってきたとたん、誰かを探していたのか、ひとりひとりをすごい目つきで見ていったんですよ。あの目力を見た時に、惹きつけられるものがあった。もちろん好意的な意味ではなく、でも何か抗えないものがあるんです。そういうものを書いてみたくなるんでしょうね。

清水 僕の場合は「本当はどうなんだ?」という興味ですね。今の事件でも古い事件でもそう思います。先日『「南京事件」を調査せよ』という本を書きましたが、それも「そんなに何万人も死んでいたら、何か記録があるんじゃないのか?」と思ったからです。

吉田 ああいう、「あった」「なかった」と言い分が真っ二つに分かれている事件を調べる時、どちら側かの立場に寄ることはないんですか。

清水 その二つの正反対の主張がなぜあるのかも興味の対象なので、どちらの意見も全部調べます。今回の本ではそれを1章から5章まで淡々と書いて、最終章に僕なりに考えたことを書いています。やっぱり、可能な限りの結論を出さないと、無責任な報道だと僕は思っているんです。

吉田 なんらかの決着はつけるわけですね。