# 現代史

人類史の曲がり角!? 私たちは今、どのような時代を生きているのか

【新連載】たそがれる国家(1)
内山 節 プロフィール

そしてその心情は、既存の国家を改革し、より「強い国家」を、「強い国家」の下での自分たちの地位の回復をもたらしてくれる大統領を求めることになる。

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その役割をトランプが果たしてくれるとは信じられなくても、そこにしがみつくしかない人たちを大量に生みだすほどに、いまではアメリカという国家の黄昏化、虚無化がすすんでいると考えればよい。

だがそのような時代には、国家に依存しない自分たちの生きる世界を再創造しようという動きもでてくる。実際水面下では、日本でも、諸外国でも、その動きはさまざまなかたちでひろがっているのだが、そのことについては後に触れることにしよう。

近代世界の終わりの始まり

かつて、世界がグローバル化していけば国家の役割は低下するという意見があった。だがそれが幻想であることは、この間の歴史が証明している。

 

確かにこの数十年の間に、企業の国際化や人、物の国境を越えた移動、通信のボーダレス化などは飛躍的に拡大した。だがそのことによって政治家も企業人も、さらにはそれぞれの国の人々も国家を不要とするような行動原理を確立することはなかった。むしろグローバル化した世界のなかでの国家間競争、そこでの支配権をめぐる争いが激化しただけである。

中国経済のグローバル化が中国中心主義を低下させることはなかったように、あるいはアメリカがアメリカ中心主義を放棄することがなかったように、グローバル化はグローバル化した世界の下での「強い国家」をめざす動きをむしろ加速させた。

国家の役割は、グローバル化によっては低下しない。だがいま世界ではじまっているのは、国家の黄昏化であり、虚無化である。その意味で根本的な弱体化がはじまっているといってもよい。内部から腐っていくように、国家の意味が低下していく。

とすると、それはなぜ起きたのだろうか。

そういう変化をとおして世界や社会はどのように変わっていくのだろうか。

そしてこれからも国家の虚無化が進行していくとするなら、それは近代世界そのものを終焉させていくことになるのではないだろうか。なぜなら近代世界とは、人々が国家の下に結集することによってつくられた世界だからである。その国家が虚無化してしまえば、近代的世界自体が土台を失うことになる。

そういう思いをもちながら、私はしばらくこのテーマを追いかけてみることにする。

第2回「溶けていく近代社会の"建前"」はこちら

かつて日本では、人がキツネにだまされたという話は日常のごくありふれたもののひとつだった。それが1965年を境にしてそういう話が発生しなくなった。いったいなぜ?