私の妻は藝大生〜気づけば部屋中泥だらけ、そのカオスな日常

「土さえあればいいんだもの」
二宮 敦人 プロフィール

なんとかなるんです

藝大生というと、ぶっ飛んだ考え方をしているとか、奇抜な発想が凄い、といったイメージが浮かんでしまう。だけどひょっとしたら、それは結果論ではないだろうか。汚れたら掃除すればいい、洗えばいい、冷たいなら温めればいい……。

どんな時でも「何とかなる、何とかしてしまえばいい」と信じられるそのタフさこそが、最も彼らを藝大生たらしめているのかもしれない。

「ねえ、大地震が来て何もかも全部ぺっちゃんこになったら、どうしよう」

僕がそんなことを聞くと、妻はすぐに答えてくれる。

「木材拾ってきて、家建てればいいよ。死なないようにだけ気をつけて」

何とかなる。

妻はいつだってそう信じている。

「うひょ」

妻はもともとモノづくりが好きで、工芸高校に入り、藝大の彫刻を目指すに至った。

しかし、モノづくりとは、何がそんなに面白いのだろう?

「うーん……」

改めて聞かれるとよくわからない、という顔で妻は考え込む。そして少しずつ話し始めた。

 

「完成した時に、『うひょ』ってなる」

「うひょ?」

「うん……『うひょ』ってなる」

形になった時の喜びのことを意味しているらしい。やったー! というほどでもなく、うむうむ。という感じでもなく、うひょ、というところが重要なようだ。

「何か、形あるものを作ると、ずっと残るでしょ。それを見たり、触れることで、他の誰かも『うひょ』ってなるかもしれない。私がいなくなった先の、ずっと未来の誰かも、『うひょ』ってなってくれるかもしれない」

「その『うひょ』の輪を広めたいの?」

「……たぶん、そうだね」

自分でも初めて気が付いた、というような様子で妻は頷いた。

「完成した時に『うひょ』はわかったけど、作っている最中に面白いとか、そういうのはあるの?」

「んー……」

やはり考え込みながら、妻はテーブルの下を覗き込んだ。

そこには、妻が二年生の時に作った木造の亀の彫刻が鎮座している。ちょっとテーブルが不安定なので、倒れないよう重石にしているのだ。こんな使われ方をする彫刻も他にないと思うが、食事中に甲羅に足を乗せたりできるので、僕たちは気に入っている。

フェルトの甲羅をつけたリクガメ 〔著者撮影〕

「作ってると、ああ、亀ってこんな形だったんだって気づくんだよね」

その亀の大きな足、太い指、丸々とした爪。意外に鋭い目、思ったよりも優し気な口、そしてこちらに真っすぐに向けられた鼻の穴。

この彫刻を作るにあたり、妻は動物園に亀を見に行った。僕も写真担当として何度か同行し、ノソノソと同じ場所を歩き回るリクガメを、ずいぶん長く観察したものだ。亀の檻の前、地べたに体育座りして、ぼーっと中を眺め続ける二人は、なかなか異様だったに違いない。

それでも見えていないものがあるというのだ。

「形を作っていく中で、気づくんだよね。こことここは繋がってる、とか。あ、亀ってこんなところあったんだ、とか。全然知らなかった新しい表情が見えてきて、それが楽しいよ」

目だけではなく、手で、指で、皮膚で見て、知っていくのだそうだ。

土さえあればいい

「じゃあ、何かを知ろうとしたら、作ってみるのも必要なのかな」

「うーん……でも、そんなに難しいことを考えて、やってるわけじゃないよ。ただ楽しいから、やってるの」

「あなたにとってモノづくりは、どれくらい重要なものなの?」

「チョコ食べたい、くらい」

即答だった。なるほど。

何か食べたいとか、水飲みたいとか、そこまで鬼気迫る衝動ではない。嗜好品のレベルなのだ。だけど無性にあれが食べたい、という時は僕にもある。そんな心の中から自然に湧き上がってくる欲求が、妻の手を動かし、彫刻を作らせているのだ。

「モノつくりはいいよね。チョコ食べたい、だったらチョコがないとダメだけれど。モノつくりたい、なら、土さえあればいいんだもの」

妻はそう言いながら粘土をこねた。

つくづく面白い人だなあと思いながら、僕は今日も藝大生の妻を観察している。

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二宮 敦人(にのみや・あつと)
1985年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。2009年に『!(ビックリマーク)』(アルファポリス文庫)でデビュー。著書に『郵便配達人 花木瞳子が顧り見る』(TO文庫) 『占い処・陽仙堂の統計科学』(角川文庫) 『一番線に謎が到着します』(幻冬舎文庫) 『廃校の博物館 Dr.片倉の生物学入門』(講談社タイガ) 『最後の秘境 東京藝大』(新潮社)などがある。