篠宮 日本にはじめてフリーダイビングの世界大会を誘致したのは2010年でした。そういう世界的なイベントを日本に持ってこない限り注目もされないし、盛り上がらないだろうと思いまして、ぼくの性分からして、なんでも先陣を切ってやれ!という思いでやらせていただきました。
マイナーなスポーツということもあって、実際のところ、スポンサーも集まりにくく、メディアもなかなかきてくれないという問題もありましたが、まずはそこからスタートしようという思いが強かったですね。オリンピックの準備期間は4年間ありますけど、ぼくらのスポーツは毎年のようにどこかで世界大会をやっているんですよ。
シマジ 毎年なんですか。1年おきではなかったんですね。
篠宮 大きな世界大会は1年おきなんですが、小さな世界大会はほぼ毎年開催されています。ですから実質1年を切った準備期間のなかで、スポンサーを集めたり、スタッフを集めたりで大変でした。はじめから赤字覚悟でやりました。
シマジ それは大変な覚悟ですね。
篠宮 赤字が出たら自分で払おうと覚悟を決めて、どこが金利を安く貸してくれるかなといろいろ考えまして、でもやる!という決意でやらせていただきました。
シマジ 篠宮さんは勇敢な性格の持ち主なんですね。
篠宮 いえいえ、後先を考えないだけです。
シマジ いやいやそれは勇敢なことですよ。篠宮さんは海に潜るときは用心深いけれど、陸の上の実行力は情熱的で男らしいですね。まさにわたしの大好きな「ロマンティックな愚か者」です。
篠宮 でもやっぱり周りがなかなかぼくについてこられないですよ。世界20ヵ国から約50人の選手が集まりました。
シマジ 宿泊場所も準備しないといけないし、練習も大変だったでしょうね。その世界大会は実際、何日くらいかかったんですか。
篠宮 全部で1週間でした。当時ぼくはまだ34歳でしたけど、先生の著書にありますように「35歳は人生の真夏日だ」ということもありまして、実行いたしました。いまから振り返ってみますと、まさにあのころぼくの人生の真夏日だったかもしれません。競技人生でのピークだったのかもしれませんし、人生のピークだったような気もします。
シマジ そのときの日本人選手の記録はどうだったんですか?
篠宮 男子チームが銀メダルで女子チームが金メダルでした。
シマジ 団体戦だったんだ。
篠宮 そうです。その年は団体戦で、次の年が個人戦でした。そいうふうに交互に繰り返されるんです。
シマジ でも賞金が20万円とか30万円なんですよね。それは意外でした。
篠宮 そこはこれからの課題でもあります。ただ、沖縄を世界に知ってもらったことは大きなことだと自負しています。
シマジ そうですね。沖縄のきれいな海を世界の人に知ってもらった功績はなによりも価値があることだと思います。
ところで、フリーダイビングの世界的な協会みたいなものはあるんですか?
篠宮 オリンピックと同じスイスのローザンヌに本部があります。それで各国に支部がありまして、日本にもあります。
シマジ これから指導者になられて後進を育成していくのは大変でしょうけど、指導者としても世界一を目指して頑張ってくださいね。
篠宮 ありがとうございます。これから先はレッスンプロとして身を立てながら、たまにお声がかかれば講演をしたりすることになると思います。
シマジ 篠宮さんはもう日本のジャック・マイヨールですよ。
篠宮 いや、まだまだです。そうそう、ジャックさんは1970年の9月、日本で2つの世界記録を樹立しているんですよ。伊豆の海でのことです。
シマジ そのときは伊豆で世界大会か何かがあったわけですか?
篠宮 いえいえ、審判だけを呼んで、ギネス記録に挑戦するみたいなカテゴリーで潜水したんです。ですからほかの選手はいないんですけど、日本の伊豆の海に彼が残した足跡があったわけです。そういうこともぼくたちは大事にしていきたいと思っています。
シマジ フリーダイビングというのはやっぱり夏のスポーツですか。
篠宮 はい、やはり夏から秋にかけてがいちばんのピークですね。
シマジ 実際のところ、水深100メートルの水温ってどうなんですか?
篠宮 それは潜る場所にもよるんですが、いちばん寒いと感じたのはカナダのバンクーバーでした。
シマジ あそこは夏でも涼しいですもんね。
篠宮 そのときの世界大会は真夏でしたが、水面の温度は24度くらいでも、潜って行くにつれてどんどん冷たく感じてきて、すぐに16度まで下がりました。80メートルくらいになると、なんと4度。まさに身を切るような冷たさでした。
シマジ 篠宮さんは何メートルまで潜ってんですか?
篠宮 そのときは70メートルぐらい、いや、たしか75メートルまで潜りましたが、結局、ブラックアウトしてしまい無記録に終わりました。成功していたら1番の記録だったんですけど、つい無理をしてしまって。
シマジ 海水が冷たいから、血流も悪くなって、酸素不足に陥ったんでしょうね。
篠宮 そうですね。寒さと自我が強すぎたんでしょう。「これをやったら1番だ」とか「あいつには負けられない」と考えた瞬間、ブラックアウトしたんだと思います。
シマジ やっぱり無の状態で潜らないといけないんですね。
篠宮 口で言うのは簡単ですが、実際にはなかなか難しくて、そういう状態で潜れるのは1年に1度あるかないかですね。人間というのはどうしても欲深いものでして、つい「これをやったら」と考えてしまう。若いころはそういう痛い目に何度もあっていました。「よし」と思って、海面に上がってきて呼吸をした瞬間に倒れるケースが多いですね。
シマジ そうなると失格になるんですか。
篠宮 はい、失格です。
〈次回につづく〉
著者: 開高健、島地勝彦
『蘇生版 水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』
(CCCメディアハウス、税込み2,160円)
1989年に刊行され、後に文庫化もされた「ジョーク対談集」の復刻版。序文をサントリークォータリー元編集長・谷浩志氏が執筆、連載当時の秘話を初めて明かす。