世界中の天才たちを悩ませた「謎」とは? 物理学史上最大のドラマ

気鋭の科学ジャーナリストが迫った
山田 克哉 プロフィール

すべては「非局所的」に起こる

一方、物語の転換点が、1964年に訪れる。北アイルランド出身の物理学者、ジョン・ベルは当時、EPR論文にすっかりとりつかれ、夢中になっていた。ベルは当初、ボームの「隠れた変数」理論に大きな関心を寄せていたが、ある日、自ら「思考実験」を思いついたのである。

彼は、二つの粒子間の「相関性」について深く考え、EPR論文が理論を「局所的」に考えていることに気づいた。局所的とは、「情報が部分から部分へと伝わる」という意味である。

ベルは、二つの相関している電子が100兆㎞も離れているのに、一方の電子の測定結果が瞬時にもう一方の電子の状態に影響を及ぼすということは、二つの電子の相関関係は局所的ではなく、「分離不可能」な一つの系(そう、全体で一つ!)を成していて、その系の中で起こることは部分から部分へと伝わるのではなく、系全体に瞬時に影響を及ぼすと考えたのだ。

すなわち、すべては系内の全範囲にわたって「非局所的」に起こるのだ、と。

「EPR論文」が示す二つの相関した電子は、たとえ100兆km離れていても一つの系内に収まっており、測定結果は系全体に非局所的に及ぶ。そこには、信号が伝わるという現象はいっさい起きていない。なぜ信号なしで情報が伝わるのか? それは、系内の粒子(量子)たちが「もつれて」いるから――。

もつれた粒子たちからなる一つの系は、「部分」に分けることができず、したがって「部分から部分に伝わる」ような局所的な現象は起こらない。「非局所性」と「分離不可能性」が一致しているのである。ジョン・ベルは、もつれた二つの量子の相関性の強さから、ある「不等式」を数学的に導き出し、それはやがて「ベルの不等式」とよばれるようになった。

その着想のもととなったのが、彼の同僚のラインホルト・ベルトマンの履く、左右で色の異なる靴下だった(このユーモラスなエピソードの顛末も本文で詳しく語られている)。

 

ベルの不等式が成り立てば「隠れた変数」の必要性が生じ、「非局所性」や「分離不可能性」は現れない。その場合には、系の部分部分を考えねばならず(局所的)、すべては決定論に従うこととなって、量子力学は不完全な理論となってしまう。一方、ベルの不等式が成立しなければ、すべては量子力学が主張するとおりの結果が得られる――。

1970年代以降、このベルの不等式を実験的に検証する試みが多くなされ、1980年代に入ってようやく、ある決定的な実験事実が発表されることになる。それは、ベルの不等式が成立しない(破れる)ということであった。

その結果、量子力学が完全に成り立ち、晴れてその正当性が認められることになったのだが、時すでに遅く、あれほど「量子力学は不完全であり、神はサイコロを振らない」と主張していたアインシュタインは、すでに他界していた。草葉の陰で、彼はどう思っていることだろう。

量子力学の理論としての正当性に難問を投げかけ、やがてその正当性を明確に示すことにつながった「量子もつれ」(Quantum Entanglement)。その奇妙でふしぎな現象は、アインシュタインやボーアをはじめとするあまたの物理学者たちの頭を悩ませ、時に人間関係をももつれさせながら、量子論の精緻化に貢献してきた。ギルダーが見事に解きほぐす「もつれの物語」を、ぜひ堪能していただきたい。

そして、本書で紹介されているエピソードの数々は、一般の量子力学について書かれた本(教科書や啓蒙書)では見受けることがないものが多い。この点においてもギルダーの仕事は貴重な存在であり、物理学専攻の学生にも一読する価値があると信じる。

著者 Louisa Gilder(ルイーザ・ギルダー)
科学ジャーナリスト。アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。2000年、ダートマス大学卒業。8年超におよぶ徹底取材でものした本書が初めての著書。

監訳者 山田克哉(やまだ・かつや)
東京電機大学工学部卒業後に渡米、テネシー大学理学部物理学科大学院博士課程(理論物理学)修了。Ph.D.。2013年6月まで、ロサンゼルス・ピアース大学物学科教授を務めた。アメリカ物理学会会員。著書に『真空のからくり』など多数。

訳者 窪田恭子(くぼた・きょうこ)
フリーランス翻訳家。神戸女学院大学文学部英文科卒業、英国・ケント大学大学院現代文学科修士課程修了。訳書に『ドラッカー最後の言葉』『進撃の華人』(ともに講談社)がある。
宇宙は「もつれ」でできている
「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか

ルイーザ・ギルダー=著
山田克哉=監訳
窪田恭子=訳

発行年月日: 2016/10/20
ページ数: 592
シリーズ通巻番号: B1981

定価:本体  1500円(税別)

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(前書きおよび著者情報は初版刊行時点のものです)