公開から30年、いま初めて明かされる『ラピュタ』創作秘話

宮崎駿監督とスタッフの「青春と情熱」
木原 浩勝 プロフィール

知られざる「宮崎駿監督」の人物像

メディア上で発信される「宮崎駿監督」といえば、常に気難しそうな人物のイメージがつきまとう。原画をパラパラめくった後そのままゴミ箱に放り込んだとか、わざわざ真っ二つに引き裂いて捨てたといった、いかにも伝説めいた噂もまことしやかに囁かれている。

「そりゃあ頑固で仕事には厳しい人ですよ。そこは間違ってはいません(笑)。けれど、神経質でいつもイライラしているとか、偉そうに叩きつけるような口調で話すといった、険のあるイメージで捉えている人が多い……と耳にしますが、それは違います」

『もう一つの「バルス」』の中で描かれているのは、朝から晩まで折り畳み式のパイプ椅子の上であぐらをかいたまま、身じろぎもせずに絵コンテ制作にいそしむ「お地蔵さん」のような姿だ。

「実際は、朗らかに、誰にでも敬語を使って話す人です。なにより、自分が一介のアニメーターであることを強調し、”監督”ではなく名前で呼ばれることを望んでいました。対等に、作品作りを真剣にやりとりできる関係を望んでいたんでしょうね。

その一方で、僕みたいな若僧相手にも子供っぽく張り合おうとする、奇妙とも映る一面も持ち合わせていたのが面白くって」

〔PHOTO〕gettyimages

たまたま宮崎監督と一緒にスタジオを出た夜のこと。自転車で帰ろうとする木原さんの後ろを宮崎監督の車が追い越す瞬間、サイドウィンドウが下ろされた。

「きっと宮崎さんは“お疲れ”と言うつもりだ」――しかし、社内の誰よりも働いている人にそんなことを言われるのは居心地が悪い。そう考えた木原さんは、車を無視してペダルを漕ぐスピードを上げてみた。

すると監督も追いかけてくる。ただそれだけの、なんともくだらない鬼ごっこに、二人とも大笑いしながら数時間も興じた。その時の木原さんの走りっぷりをいたく気に入った監督は、後になって『となりのトトロ』に登場する「ネコバス」の動きに採用したのだという。

「仕事に関してはとことん厳しい人です。例えば、急に僕をつかまえては、自分の手元にあるとわかってるくせに『○○のカットは今どこにありますか?』なんて聞いてくるんです。

僕がちゃんと把握しているかどうかを試すんです。で、僕が涼しい顔で『ここにありますが?』と指差して答えると、『そうですか』とひっそりと笑う。今思い出しても怖いイタズラめいたやりとりがしょっちゅうありました」

最も頻繁にぶつけられたのは、やはり作品の内容に関する感想。「この場面についてどう思いますか?」――そこで自身の考えていたことを簡潔に指摘されると、実に嬉しそうな顔をして解説する。反面、答えるまでに間があきすぎたり、だらだらと前置きが長かったりすると、「もういいです」と言われてしまう。

「創作した本人を前にして自己流の解釈を話すなんて、おこがましいと思って尻込みしてしまうところですが、宮崎さんはそこでぐいぐい食いついて投げ返してくるような人間を尊重するんだと思います。いちいち黙ったり折れてなんかいられません。おそらく、相手が作品にどれほどの思い入れを持って働いているのかを試していたんだと思います」

 

長く愛されてきた理由

「この本の中には、作品の基になった絵コンテの記述が山のように出てきますが、それは読者の皆さんに実際の映像と見比べてみてほしいからです。監督自身の思い入れの強さを表したかったと同時に、皆さんがこれを読んだ後、改めて『天空の城ラピュタ』という作品を今一度じっくりと楽しんでいただけないだろうか? との導線のつもりで落とし込んだのです」

事実、宮崎監督が作品に注ぎ込んでいた情熱は並大抵のものではなかった。上映時間の都合上、フィルムには入れられないとあらかじめわかっているシーンでも、きちんと絵コンテを描き、自分自身を納得させてから没にしていたというから舌を巻く。結果、数多くの絵コンテが露と消えた。

「『もう一つの「バルス」』では”できなかったこと”を書くことによって、汗をかいて作品をつくるということの意味を伝えたかったんです。80年代というのはバブルに浮かれていて好きに放題というイメージが強いですが、当の現場はそれどころじゃありません。しゃにむに汗をかいて働かないと、あっというまに波に飲み込まれてしまう。

表には出ない、スタッフの計り知れない苦労がそこにあったからこそ、これだけ長く愛される作品が世に送り出されたんです」

〔PHOTO〕Kiyoshi Mori

木原さんに言わせると、『天空の城ラピュタ』という作品は「宮崎駿の最後のロマンチック映画」なんだという。

「空から少女が降ってくる……こんな夢そのもののような出来事はないですよね(笑)。できすぎなくらいドラマチックなストーリー。そのぶん、どのシーンを切っても成立しなくなってしまうほど、過不足のない芝居が丁寧に積み上げられているんですよ。

例えば、落下したシータがパズーのベッドで目覚めるシーン。無意識に胸元のペンダントを握って、飛行石がちゃんとそこにあることを確認する。つまりそこで、寝ている間に盗まなかったパズーという少年を信用するんです。

台詞なんかない、ごく短いシーンだけど、その後のふたりの間に流れる柔らかい空気にきちんと説得力を持たせている。そんな微細な情報が画面を見るだけで伝わるようになっているんです」

確かにいわれたとおり、ひとつひとつのシーンを細かく追っていくと、そこにおびただしい意味が込められていることに改めて気づく。テレビ放送に際し、宮崎監督が「完全ノーカット放映」にこだわったのも頷ける。

「これだけ繊細な芝居を愛情と情熱を込めて丹念に作り込んだ『作品』でさえ、今は押し並べて『コンテンツ』と呼ばれてしまうことに僕は危機感を覚えています。この本を通じて、一人でも多くの人が自分自身で考える機会をもうけてくだされば、ありがたいと思います」

(インタビュー・構成/倉本さおり)